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「筑前宮崎村」はどこにある?(福岡と熊本の宮崎兄弟は同族?)【わかっていない事】
福岡の宮崎兄弟といえば「秋月の乱」に中心人物として参加した宮崎車之助、今村百八郎、宮崎哲之助の三兄弟の事ですが、熊本にも明治期に宮崎兄弟が登場します。 その次男の宮崎八郎は中江兆民らと親交を持ち自由民権活動に奔走、そして西南戦争で西郷軍に参加し八代で戦死します。 また弟たち民蔵、彌蔵、寅蔵(滔天.....









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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

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余談…ひとり言的な話です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2021.1.10

【記想録】島津義久降伏す

2021.1.5

親魏倭王印はどこにある?を追加

2021.1.4

金印の「委」は「倭」の略字?を追加

2021.1.2

「漢委奴国王」の読み方は?に加筆

2020.12.31

【記想録】村重、孝高を禁獄す

2020.12.30

【記想録】摂津播磨離反す

2020.12.27

【記想録】備中高松城の水攻め

2020.12.22

【記想録】孝高の説得術

2020.12.20

【記想録】原田氏の先祖の事

2020.12.19

【記想録】長宗我部信親の最期

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
小忍ばざれば則ち大謀を乱る
論語





名所旧跡・筑豊地区
 【大分廃寺塔跡】-飯塚市大分-



大分廃寺塔礎石

国指定史跡 大分廃寺塔跡
(だいぶはいじとうあと)

      所 在 地
      指定年月日 昭和十六年十二月十三日

 大分廃寺塔跡は、当地域で唯一の古代寺院の塔跡です。  塔跡は、保存状態が大変良く、塔の中心柱を支えた心礎(しんそ)を中心に 十七個の礎石がほぼ創建当時のままの良好な状態で残っています。 心礎は大変丁寧に作られており二条の排水溝が見られます。また、 心礎側面に見られる線刻(せんこく)は伽藍造営の基準線と密接に関連するも のとみられます。  現在までの発掘調査の結果などにより、寺域を区画すると思われ る溝と柵列(さくれつ)を検出し、その寺域は南北約九十四m・束西約百二m、大 分廃寺の建立は八世紀初頭(今から約手三百年前)と推定されま す。また、心礎柱座の直径から計算すると、三十mを超える三重の塔 であったと考えられます。出土する古瓦は、新羅系と呼ばれる華麗 な瓦であり、当時大宰府から豊前への官道の中継地点として、文化 交流が盛んだったことがわかります。現在では塔跡以外は見ること ができませんが、当時は七堂伽藍と言って塔・金堂・講堂などがそろ った立派な寺院であり、その伽藍配位置は金堂を左に、塔を右に配 する、法起寺式(ほっきじしき)と推定されます。

飯塚市教育委員会

大分廃寺塔跡案内板より










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スポットライト人物伝


【大伴金村(おおともかなむら)】
(?~?)


西暦500年代前半から中盤にかけての大和王権の重臣。倭国の朝鮮半島へ影響力が弱まると百済に任那四県割譲を行い、 また「磐井の乱」では継体天皇に物部麁鹿火を討伐軍の将軍に推薦します。 のちに任那四県割譲問題で責められ大和政権の表舞台より去ることになります。 ちなみにこの人物は九州に来た記述はないようですが、息子の磐(いわ)と狭手彦(さてひこ)を任那支援に向かわせ、 磐は筑紫で後方支援を担当したと日本.....[全文を表示]


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