記事検索 

検索の結果 5件の記事が見つかりました


福岡の変(1877年)【福岡史伝・幕末・維新】
熊本、秋月、萩の乱が醒め遣らぬ1877年2月、薩摩の私学校生たちの暴発に引きずられる様に西郷隆盛が決起すると、 福岡でも薩軍に呼応するため元福岡藩士の武部小四郎や越智彦四郎が準備を始めます。 そして薩軍の決起より約2ヵ月後の3月27日、200名余りで兵を挙げますがこの頃、 薩軍は田.....

幕末・明治(勤皇の志士たちと「秋月の乱」)【一夜漬け福岡史】
幕末期には、真木和泉や平野國臣などの勤皇の志士が登場します。二人は1862年4月、薩摩藩の「寺田屋事件」に関わり捕らえられ、 それぞれ久留米藩、福岡藩へ送還されますが、一年後には許され再び志士活動を開始し京に上ります。 しかし京都では1863年8月に突然政変が起こり、朝廷に強い影響力のあ.....

「筑前宮崎村」はどこにある?(福岡と熊本の宮崎兄弟は同族?)【わかっていない事】
福岡の宮崎兄弟といえば「秋月の乱」に中心人物として参加した宮崎車之助、今村百八郎、宮崎哲之助の三兄弟の事ですが、熊本にも明治期に宮崎兄弟が登場します。 その次男の宮崎八郎は中江兆民らと親交を持ち自由民権活動に奔走、そして西南戦争で西郷軍に参加し八代で戦死します。 また弟たち民蔵、彌蔵、寅蔵(滔天.....

人参畑先生の事(男装の女医・高場乱)【意外な人物伝】
最近、テレビでは美形の女医さんが話題を振りまいているようですが、40年程前の九州では女性の医師はほぼ見受けることが無かった様な気がします。 しかし最近では女性も医学界で活躍するのが極普通な事になっているようで、私自身も、以前にチョットした不注意で指先を負傷し女医の先生のお世話になったことがありまし.....

高場乱(1831年~1891年)【福岡人物伝】
男子として育てられた男装の女医で、かつ教育者。金印の鑑定をした亀井南冥の学派の塾に学び、後に興志塾を起します。 「福岡の変」には塾生から多く者が参加しています。そして1889年に教え子の来島恒喜(くるしまつねき)が大隈重信暗殺未遂事件をおこし自決すると、 来島の死を嘆きながらも「匹夫の勇」と厳しい言.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2021.1.10

【記想録】島津義久降伏す

2021.1.5

親魏倭王印はどこにある?を追加

2021.1.4

金印の「委」は「倭」の略字?を追加

2021.1.2

「漢委奴国王」の読み方は?に加筆

2020.12.31

【記想録】村重、孝高を禁獄す

2020.12.30

【記想録】摂津播磨離反す

2020.12.27

【記想録】備中高松城の水攻め

2020.12.22

【記想録】孝高の説得術

2020.12.20

【記想録】原田氏の先祖の事

2020.12.19

【記想録】長宗我部信親の最期

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
変に処しては、まさに百忍を堅くして以って成るを図るべし
菜根譚





わかっていない事
 【煬帝の返書の行方は?】-小野妹子、返書の提出できず!-

中国の南北朝の時代の混乱が終わりを告げ、隋が中国をほぼ統一すると大和朝廷は遣隋使を派遣します。 遣隋使の船は出発時も帰還の際も那の大津(博多より2㎞ほど西方)を寄港地としていたようです。 607年、第二回遣隋使の小野妹子は「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなしや」といった書状を隋に届けますが、この内容を知った隋の皇帝・煬帝(ようだい)は取り次いだ者に「この様な書状は二度と持って来ないように」と不機嫌になったといいます。 そして煬帝は返書を小野妹子に託しますが、帰国した妹子は返書を提出せず「返書は百済を通った際に百済人によって奪われました」と報告します。 これは隋の返書が好意的なものではなかったため妹子が自ら破棄したのではないかと考えられているのですが、この返書にはいったい何が書かれていたのか今となっては歴史の謎となっています。








福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【武内宿禰(たけのうちすくね)】
(?~?)


日本書紀には筑紫にて神功皇后の補佐をした記述もある人物です。景行天皇から仁徳天皇まで5代の天皇に仕え、 日本書紀の記述が正しいとすれば武内宿禰は300歳近い寿命を全うしたことになりますが、武内氏が数代にわたって歴任した役職ではないかともいわれています。


このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝