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もう一つの都(豊津とその周辺の史跡)【意外な話】
豊前国府中門跡 福岡の古都といえば誰もが大宰府を思い浮かべるに違いないのですが、福岡にはもう一つの古都が存在します。 それが京都郡みやこ町・豊津とその周辺の地域になります。ここには豊前国分寺や豊前国府跡、船迫窯跡(築上町)、御所ケ谷神籠石(行橋市)などの史跡があり、この施設が大宰.....

景行天皇(西暦300年前後?~)【福岡人物伝】
崇神天皇の孫で、橿日宮で崩御した仲哀天皇の祖父にあたります。 皇位に就いた当時、出産時に夫は子供が生まれるまで臼を担いで家のまわりを廻る風習があり、天皇も皇后が出産する際にこの風習に倣い、臼を担いで屋敷のまわりを廻っていたのですが、子供が双子だとわかった天皇は臼に向かって「こん畜生」と叫んだという.....

熊襲の抵抗(300年代)【福岡史伝・弥生・古墳】
歴史上実在が認められている初めての天皇は崇神天皇ですが、その崇神天皇は倭国を中央集権化するため、「四道将軍」を発し倭国統一を目指します。これが西暦200年代後半の事だと思われます。「四道将軍」の四道とは北陸道、東海道、山陽道、丹波の四方面のことで、各将軍は共和国諸国の大和政権への帰属を確認しながら進.....

神功皇后伝説は伝説?(朝鮮半島への進出)【わかっていない事】
仲哀天皇とその皇后、神功皇后は実在の人物かどうか意見が分かれているようですが、実在の人物と仮定すれば、西暦300年代前半あたりに存在した人だと思われます。以下は2人が存在したことを前提に話を進めます。 仲哀天皇は祖父の景行天皇や父の日本武尊(やまとたけるのみこと)と同様に、熊襲(くまそ)平定を目指.....

狗奴国は「熊野」?「球磨」?(卑弥呼に属せずの「狗奴国」)【わかっていない事】
狗奴国(くなこく)は直接、福岡に関係ありませんが、「狗奴国=熊襲」の場合は間接的に関係してきます。 魏志倭人伝に記載される邪馬台国の敵国「狗奴国」は、熊野国(和歌山県)、球磨国(熊本県)、出雲、美濃地方の豪族など諸説あります。 以下、魏志倭人伝の抜粋です。 「南、邪馬台国に至る。女王の都する所.....

卑弥呼は誰?(百襲媛(ももそひめ)は鬼道につかえる?)【わかっていない事】
「魏志倭人伝」には卑弥呼に関して次のような記述があります。 「 ~前略~ 一女子を立てて王となす。名を卑弥呼という。鬼道に事(つか)え、よく衆を惑わす。この年長大なるも、夫婿なく、男弟あり佐けて國を治む。王となりて以来、見(まみ)ゆる者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。ただ男子一人あり、飲食を給し.....

仲哀天皇(?~362年)【福岡人物伝】
日本武尊(やまとたけるのみこと)の息子で熊襲征伐に意欲を燃やしますが橿日宮で突然崩御します。 崩御の理由は后の神功皇后の神託に従わなかったためとも、熊襲の矢に当たったためとも言われていますが、 歴史学上では実在しなかったという説もあるようです。.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2021.1.10

【記想録】島津義久降伏す

2021.1.5

親魏倭王印はどこにある?を追加

2021.1.4

金印の「委」は「倭」の略字?を追加

2021.1.2

「漢委奴国王」の読み方は?に加筆

2020.12.31

【記想録】村重、孝高を禁獄す

2020.12.30

【記想録】摂津播磨離反す

2020.12.27

【記想録】備中高松城の水攻め

2020.12.22

【記想録】孝高の説得術

2020.12.20

【記想録】原田氏の先祖の事

2020.12.19

【記想録】長宗我部信親の最期

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
柔能(よ)く剛を制し、弱能(よ)く強を制す
三略





名所旧跡・筑後地区北部
 【西鯵坂城跡】-小郡市下西鯵坂-



西鯵坂城跡

【西鯵坂城跡】
 ここから東南二百米ばかりの所、大楠の下に小さい石の堂が建っている。ここが城の中心地で、筑後志には「筑紫上野介家宗が據りし所なり。縦六十間、横二十間の平城なり」と書いてある。宗氏代々の居城であった。戦国時代の末期、薩摩の島津義久は九州を征服しよう○○て軍を進め、筑後川を渡って岩橋麟迦の居城古賀城(宮ノ陣町古賀)を落して西鯵坂城におし寄せた。城主宗統家が死守したが衆寡敵せず遂に全滅の悲運にあった。島津軍は尚北上して太宰府の岩屋城に迫り高橋紹運を攻め亡ぼしたが、豊臣秀吉の援軍には敵しかね、薩摩に退いて降服した。今、城跡をさぐると、石の堂の内壁には次の字が刻してある。

明治十五年壬午二月吉日
大己貴神社
佐々木英雪
同  宗助


【下西鯵坂邑】
 (註、大已貴神とは大黒様をいう)
 土地の人は、いんにやく様といって十一月三十日に村人か相よってお宮籠もりをしたが、今は佐々木家だけでお祭をしてある。
 (註、印鑰様とは神社や寺の印とカギを大切に保管するため神として祀ったもの)もとこの神社は城の戌亥角(西北)にあったのを、今の地に移したもので、その跡からボロボロになった古銭や刀剣が出土したそうであるから、大方城内の金庫を守る神として大黒様や印、カギを 祀ったものであろう。堂の近くに古井戸が残っているが、昔の場内の井戸に違いない。
 内堀と見られる溝が今も残っており、ここから西へ進むと大木戸堀というのがある。南の方には竜の堀という堀もあって、普済寺の北堀と連なって城の外堀の跡を止めている。
 大木戸とは城の出入ロをいい、城の東南方はるか彼方に大御門という所もある。


昭和五十三年二月
小郡市教育委員会
小郡市郷土史研究会案

「西鯵坂城跡」の案内板より
○は判読不明の文字です。










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スポットライト人物伝


【山鹿秀遠(やまがひでとう)】
(?~1185年?)


豊前国との境、筑前国山鹿の豪族です。治承・寿永の乱では平家方に属し、大宰府を追われた安徳天皇と平家一門に最後まで付き従います。壇の浦では平家の主力として戦いますが、平家一門と運命を共にしたものと思われ、以後は歴史に登場することはないようです。ところで山鹿いえば熊本の山鹿市が有名ですが、山鹿氏は菊池氏の同族といわれることから菊池市に隣接する山鹿市と筑前の山鹿の地名には何らかの関係があるのかもしれませ.....[全文を表示]


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