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検索の結果 9件の記事が見つかりました


もう一つの都(豊津とその周辺の史跡)【意外な話】
豊前国府中門跡 福岡の古都といえば誰もが大宰府を思い浮かべるに違いないのですが、福岡にはもう一つの古都が存在します。 それが京都郡みやこ町・豊津とその周辺の地域になります。ここには豊前国分寺や豊前国府跡、船迫窯跡(築上町)、御所ケ谷神籠石(行橋市)などの史跡があり、この施設が大宰.....

景行天皇(西暦300年前後?~)【福岡人物伝】
崇神天皇の孫で、橿日宮で崩御した仲哀天皇の祖父にあたります。 皇位に就いた当時、出産時に夫は子供が生まれるまで臼を担いで家のまわりを廻る風習があり、天皇も皇后が出産する際にこの風習に倣い、臼を担いで屋敷のまわりを廻っていたのですが、子供が双子だとわかった天皇は臼に向かって「こん畜生」と叫んだという.....

熊襲の抵抗(300年代)【福岡史伝・弥生・古墳】
歴史上実在が認められている初めての天皇は崇神天皇ですが、その崇神天皇は倭国を中央集権化するため、「四道将軍」を発し倭国統一を目指します。これが西暦200年代後半の事だと思われます。「四道将軍」の四道とは北陸道、東海道、山陽道、丹波の四方面のことで、各将軍は共和国諸国の大和政権への帰属を確認しながら進.....

神功皇后伝説は伝説?(朝鮮半島への進出)【わかっていない事】
仲哀天皇とその皇后、神功皇后は実在の人物かどうか意見が分かれているようですが、実在の人物と仮定すれば、西暦300年代前半あたりに存在した人だと思われます。以下は2人が存在したことを前提に話を進めます。 仲哀天皇は祖父の景行天皇や父の日本武尊(やまとたけるのみこと)と同様に、熊襲(くまそ)平定を目指.....

狗奴国は「熊野」?「球磨」?(卑弥呼に属せずの「狗奴国」)【わかっていない事】
狗奴国(くなこく)は直接、福岡に関係ありませんが、「狗奴国=熊襲」の場合は間接的に関係してきます。 魏志倭人伝に記載される邪馬台国の敵国「狗奴国」は、熊野国(和歌山県)、球磨国(熊本県)、出雲、美濃地方の豪族など諸説あります。 以下、魏志倭人伝の抜粋です。 「南、邪馬台国に至る。女王の都する所.....

卑弥呼は誰?(百襲媛(ももそひめ)は鬼道につかえる?)【わかっていない事】
「魏志倭人伝」には卑弥呼に関して次のような記述があります。 「 ~前略~ 一女子を立てて王となす。名を卑弥呼という。鬼道に事(つか)え、よく衆を惑わす。この年長大なるも、夫婿なく、男弟あり佐けて國を治む。王となりて以来、見(まみ)ゆる者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。ただ男子一人あり、飲食を給し.....

神功皇后(?~389年頃)【福岡人物伝】
仲哀天皇の后で朝鮮半島へ出兵し自らも向かいます。主に九州北部中心で活動した人物で、 その一帯には皇后を祭る神社・史跡や伝説が数多く残ります。仲哀天皇と同じく架空の人物という説もあります。.....

仲哀天皇(?~362年)【福岡人物伝】
日本武尊(やまとたけるのみこと)の息子で熊襲征伐に意欲を燃やしますが橿日宮で突然崩御します。 崩御の理由は后の神功皇后の神託に従わなかったためとも、熊襲の矢に当たったためとも言われていますが、 歴史学上では実在しなかったという説もあるようです。.....

武内宿禰(?~?)【福岡人物伝】
日本書紀には筑紫にて神功皇后の補佐をした記述もある人物です。景行天皇から仁徳天皇まで5代の天皇に仕え、 日本書紀の記述が正しいとすれば武内宿禰は300歳近い寿命を全うしたことになりますが、武内氏が数代にわたって歴任した役職ではないかともいわれています。.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2020.10.14

【記想録】勝龍寺城攻め

2020.10.11

【記想録】本能寺の変を報せた男

2020.9.27

懐良親王終焉之地を追加しました

2020.9.26

男装の漢詩人・原采蘋を追加しました

2020.9.6

名所旧跡に水城西門跡を追加しました

2020.9.4

名所旧跡に小水城跡を追加しました

2020.9.3

マイナーチェンジを行いました

2020.9.2

筑後みやまの平家伝説を追加しました

2020.8.10

船迫窯跡を追加しました

2020.8.7

朝倉の三連水車を追加しました

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
己の長を以って、人の短を形(あらわ)すことなかれ
-自分の長所をひけらかし、人の短所を馬鹿にするようなことをしてはいけない-
菜根譚





名所旧跡・筑後地区北部
 【菊池武光銅像】-三井郡大刀洗町-




【菊池武光銅像】
正平十四年(1359)八月七日、大原(小郡市)で少弐頼尚を撃破した菊池武光は敗走する敵を追って山隈原に進出した。 この方面で戦っていた少弐方の大友勢も菊池勢の側面からの攻撃に崩れ去った。 武光はさらに小川を渡り(菊池渡りという)深く追撃しようとした。 しかし夜明け前からの激戦、死傷者 少弐方一万八千人、菊池方六千九百人 と伝えられるように味方も損害甚大かつ疲労困憊その極に達していたため、追撃することを止め、軍を山隈原にまとめた。
朝来の血刀を山隈原を貫流している小川で洗うと、刃は鋸のようにこばれており、川水はまっ赤に染まった。

   「帰来、河水に笑って刀を洗えば、血は奔湍にほとばしって紅雪をふく-頼山陽」
   「そのかみの血潮の色とみるまでに、紅葉流るる大刀洗川-乃木大将」

古人は、このありさまをこのように詠じている。
この故事によって、本町は大刀洗町と名づけられた。
雄姿凛々たるこの銅像は、ゆかりの菊池渡りの地に昭和十二年十一月建立されたものである。
なお馬腹や台石の弾痕は昭和二十年三月の大刀洗飛行場爆撃の時の名残である。

菊池武光像の案内板より(1990年代後半頃のものです)










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スポットライト人物伝


【味酒安行(うまさかやすゆき)】
(?~?)


味酒安行は菅原道真の配流に従った人物です。道真の死去後は遺骸を牛車に乗せて安楽寺へ運び埋葬し、翌年には祠廟を創建します。 この味酒安行が立てた祠廟が後の太宰府天満宮で、現在では沢山の参拝客、観光客が訪れる福岡一の観光地となっています。


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