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検索の結果 5件の記事が見つかりました


古屋佐久左衛門(1833年~1869年)【福岡人物伝】
筑後古飯(ふるえ)の庄屋の生まれで医学を志し大阪に出ますが、医学が性に合わない事を悟り、江戸に向かい英語や洋学を学び、洋学書の翻訳などを手がけます。また婿養子で古屋家を継ぎ幕臣となります。戊辰戦争では坂本龍馬を斬ったとされる今井信郎(のぶお)と共に衝鋒隊を率い北関東、越後、会津、箱館と転戦し最期は官.....

戊辰戦争に福岡藩出兵(1868~1869年)【福岡史伝・幕末・維新】
1867年10月24日、将軍の徳川慶喜が大政奉還を行うと、12月9日に朝廷は王政復古の大号令を発します。 翌年1月3日にはついに鳥羽伏見で薩摩軍と旧幕府軍の間で発砲が起こり、1年と5ヶ月に及ぶ戊辰戦争が始まります。 新政府は天皇の名の下に各藩へ出兵の命を発し福岡藩もこの命に従いますが.....

篠原泰之進(1828年~1911年)【福岡人物伝】
筑後浮羽の出身で関東で攘夷活動に走ります。その後、伊東甲子太郎に従い京都にて新選組に加入しますが、2年と数ヶ月後には伊東ら同士と共に御陵衛士(ごりょうえじ)を創設し新選組より離脱します。新選組はこの行動を表向きには了承しますが、脱隊を原則違反とする新選組の近藤勇、土方歳三らは伊東甲子太郎を謀殺、遺体.....

新選組局長・近藤勇を狙った男(筑後の柔術家・篠原泰之進)【意外な人物伝】
1867年11月18日、新選組は隊より離脱した御陵衛士(ごりょうえじ)の頭取・伊東甲子太郎とその同志三名を京都油小路で騙まし討ちにしますが、この報復として御陵衛士の生き残りは12月18日、京都・墨染で公務帰りの新選組局長・近藤勇を待ち伏せ狙撃し、左肩に重傷を負わせます。 子母沢寛は「新選組始末記」.....

七卿落ちではなく五卿落ち?(五卿のその後)【意外な人物伝】
1863年「8月18日の政変」で会津薩摩の両藩に長州藩が京都を追われると、攘夷派の三条実美ら七卿も長州に落ち延びました。これが世に言う「七卿落ち」です。その後、七卿の一人、澤宣嘉は1863年10月「生野の変」に平野国臣と共に身を投じ、もう一人、錦小路頼徳は1864年6月長州にて病没します。残った五卿.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2021.1.10

【記想録】島津義久降伏す

2021.1.5

親魏倭王印はどこにある?を追加

2021.1.4

金印の「委」は「倭」の略字?を追加

2021.1.2

「漢委奴国王」の読み方は?に加筆

2020.12.31

【記想録】村重、孝高を禁獄す

2020.12.30

【記想録】摂津播磨離反す

2020.12.27

【記想録】備中高松城の水攻め

2020.12.22

【記想録】孝高の説得術

2020.12.20

【記想録】原田氏の先祖の事

2020.12.19

【記想録】長宗我部信親の最期

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは 人のなさぬなりけり
上杉鷹山





意外な人物伝
 【日本国王・良懐とは誰?】(1370年)-明の抗議に応対した親王-

小郡市大中臣神社の将軍藤
時は南北朝の時代、後醍醐天皇の皇子・懐良親王(かねながしんのう)は菊池武光の支援を得て1361年に大宰府を奪い、九州の北朝勢力をほぼ制圧します。 この懐良親王、菊池武光の活躍に隠れてなかなか人間性が見えてこないのですが、明の史書「明史」には親王の人間性が鮮やかに描かれています。
倭寇に手を焼いた明の洪武帝(こうぶてい)は趙秩(ちょうちつ)という者を抗議の使者として日本へ送ります。 趙秩は日本が明に服従しないことを咎める内容の国書を持参しますが、これに応対した懐良親王は「元寇」を引き合いに出し「貴殿は元(げん)の使者の趙良弼(ちょうりょうひつ)と同じ苗字だが、もしかして蒙古の子孫ではないのか?良弼と同じようにたぶらかし我が国を攻めるつもりであろう」と左右の者に目配せして趙秩を斬らせようとしますが、趙秩は動じる事なく「明国を蒙古などと同じくするな、私も蒙古の子孫などでない。斬りたくば斬れ」と返します。 懐良親王はこの態度に気がくじけ(この時は始めから斬るつもりではなかったと個人的には思うのですが・・・)、高座より降り趙秩を招き入れ礼をもって待遇したといいます。 この「明史」に懐良親王は「日本国王・良懐(りょうかい)」として登場しています。


写真は「筑後川の戦い(大原合戦)」で勝利するものの、負傷した懐良親王が傷の全快に感謝して大中臣神社に植樹したと言われる「将軍藤」になります。








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スポットライト人物伝


【立花宗茂(たちばなむねしげ)】
(1567年~1643年)


高橋紹運の長男として生まれ後に嫡男のない立花道雪に請われて養子となり立花家を継ぐことになります。 島津軍の筑前侵攻では父・紹運が岩屋城で玉砕するものの、宗茂は香椎北東の立花山城に篭り豊臣秀吉の援軍が九州に上陸するまで城を守りきります。 その後、数々の武功を上げ秀吉より柳川13万石を与えられますが、関ヶ原の戦いでは秀吉への恩義から西軍についたため改易され浪人となります。 しかし20年後には許され柳川.....[全文を表示]


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