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寛政異学の禁(1790年)【福岡史伝・江戸】
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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2021.11.6

【記想録】 姦悪をなす者その才人に過ぐ

2021.10.17

【記想録】 口に才ある者は・・・

2021.10.4

【記想録】 衆これを悪むも必ず察す

2021.9.11

【記想録】志無きの人は鈍刀の如し

2021.8.28

【記想録】則ち怨み遠ざかる

2021.8.22

【記想録】三十六策、是れ走を上計とす

2021.8.21

【記想録】己の欲せざる所は人に施す勿れ

2021.8.16

【記想録】漱石が子規からもらった漱石

2021.8.15

【記想録】兵の形は水に象る

2021.8.14

【記想録】逆境の中に居ればみな薬石

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
人主の逆鱗に嬰(ふ)るるなくんば則ち幾(ちか)し
韓非子





福岡史伝・奈良
 【梅花の宴】(730年)

太宰府天満宮の梅
元号「令和」の元となった「梅花の宴」は730年の大宰帥・大伴旅人の邸宅で行われました。 「梅花の宴」といえばなんか貴族のほのぼのとした詩会が想像されるのですが、原文でも宴会となっているようで実際は新年の飲み会だったのかもしれません。怒られるかもしれませんが、詩の才能が皆無の者としてはメインの酒と余興の歌、「酒が1番、詩作は2番」そんな事を想像してしまいます。
ところで大伴旅人は大の酒好きだったようで、万葉集には旅人の「酒を讃むる詩」13首が載せられています。

なかなかに人とあらずは酒壺になりにてしかも酒に染みなむ
(いっそ、人でなければ酒壺になって酒に浸ることができるのになあ)

なるほど酒飲みの気持ちが伝わります。 また別の詩では

あな醜 賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
(ああみっともない 賢こぶって酒を飲まない人をよく見れば猿に似ていることよ)

これはヒドイ、付き合いで好きでもない酒の宴に参加している人からすれば無礼千万なこの発言、酔っ払いの方が顔が真っ赤なサルに似ているよと言いたくなるに違いありません。ただ、大伴旅人は貴族の風雅さだけではなく、茶目っ気を兼ね備えた人だったとは言えるのかもしれません。


旅人の邸宅は現在の大宰府政庁跡の北西にある坂本八幡宮の辺りにあったといわれています。梅花の宴には筑前守・山上憶良、大宰大監・大伴百代の他に、大弐、少弐職の人々や豊後守、筑後守が出席しています。
「梅花の宴」の前年には「長屋王の変」が起こり、都では40年ほど政変が繰り返される時代に入ります。大宰府は左遷の地となりますが、兵火が及ぶ事はなかったようで平穏な時が過ぎていたのかもしれません。









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スポットライト人物伝


【鑑真和尚(がんじんわじょう)】
(688年~763年)


5度の渡航に失敗し、6度目の渡航で来日を果たした唐の高僧です。観世音寺で日本初の授戒を行い、8年後にその地に戒壇院が建立されます。



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