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宮本武蔵の碑(北九州市小倉北区赤坂)【名所旧跡・北九州地区】
小倉碑文内容 .....

小倉碑文とは?(宮本武蔵の碑)【Fアイテム】
小倉碑文は小倉藩家老の宮本伊織が養父・武蔵の事蹟を残すために小倉・手向山(たむけやま)に建立した石碑になります。ここには六十数回に及ぶ武蔵の決闘の中から六つの決闘の事が記載されています。歴史的に見てすべてが事実なのか疑問視される点もあるようですが、武蔵がただ者ではない事だけはひしひしと伝わる碑文とな.....

巌流島の決闘(1612年)【福岡史伝・江戸】
小倉碑文 伊織は1624年に武蔵の養子となり2年後には明石・小笠原家に出仕し、1632年には冒頭に記載した小笠原家の九州入りに従い豊前小倉に入ります。「巌流島の決闘」から20年後の事になります。詳しいことは判りませんが武蔵もこの頃、豊前に移ったのかもしれません。そして1640年には肥後.....

巌流島は豊前領だった!(現在の島の住人は?)【意外な話】
巌流島の住人? 宮本武蔵と佐々木小次郎が対決した巌流島は山口県の観光名所として有名ですが、江戸時代は豊前小倉藩の領地だったということです。これは「関ヶ原の戦い」で敗れ徳川家より本州の西の片隅に押し込められて不満を持つ毛利家を牽制するため方策だと想像されるのですが、実際のところはどう.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2020.9.6

名所旧跡に水城西門跡を追加しました

2020.9.4

名所旧跡に小水城跡を追加しました

2020.9.3

マイナーチェンジを行いました

2020.9.2

筑後みやまの平家伝説を追加しました

2020.8.10

船迫窯跡を追加しました

2020.8.7

朝倉の三連水車を追加しました

2020.8.6

漢委奴国王印の鈕は駱駝?

2020.8.5

宮本武蔵の碑を追加しました

2020.8.4

野村望東尼終焉の宅の碑を追加しました

2020.8.3

羽犬塚の由来を追加しました

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
人の悪を攻むるには太だ厳なることなかれ
-人の悪いところ注意する時は、厳しい言動で責めてはいけない-
菜根譚





名所旧跡・朝倉・うきは
 【朝倉の三連水車】-朝倉市-

朝倉の三連水車と堀川用水と山田堰


朝倉の三連水車の観光に訪れた際には水車の見学だけではなく、何故この地に水車が必要だったのか関心をもっていただけると意義のある観光になるかもしれません。

筑後川が大きく南に蛇行する山田の地に江戸時代に設けられた山田堰。この堰は筑後川の北側に農業用水を運ぶ堀川用水へ大量の水を送り込むことを役目とします。
(写真は巨石を敷き詰めて建造された山田堰。現在はコンクリートで補強されているようです)

堀川用水は筑後川の上流から流れてくる大量の水を、その筑後川の押し出す力を利用して山地裾野の田地に運びます。
(写真は堀川用水)

水車は三連1基と二連2基の計3基がありすべて堀川用水の北側に設置されています。堀川用水の北側と南側には高低差があり低い南側には堀川用水から水を直接放流できるのですが、北側の山の裾野の田地には水車の力を利用して送水する必要があったのです。
(三島の二連水車。田植え前のためか水車はすべてメンテナンス中のようでした)

朝倉三連水車の観光は、山田堰、堀川用水と共に三点セットで見学していただければ、三連水車の意味がよく理解できると思われます。下に現地にある案内板の内容と山田堰建造の中心となった庄屋・古賀百工の碑の写真を掲載しておきます。



古賀百工の碑

日本疏水百選堀川用水
 山田堰は、大石堰、恵利堰と並ぶ筑後川三大堰のひとつで「傾斜堰床式石張堰」といい、寛政2年(1790年)に完成した日本では他にない石張り堰です。この堰の特徴は、取水量を増やし、激流と水圧に耐え得るための匠の技が随所に施されていることです。この地の庄屋、古賀百工が農民等とともに築造した山田堰は、朝倉地域の農業史を物語っており、この遺業と美しい田園を次世代に引き継ぎたいものです。
 水神社から山田堰を眺めるめると3つの水路があります。手前から砂利吐き口・中舟通し・南舟通しです。その昔、舟通しに帆掛け舟が往来し、いかだが下った情景を今に伝えます。
 この堰付近は、斉明・天智天皇にまつわる多くの伝承等も残っており、いつ訪れても彩られた四季を感じ、ゆっくり散策が楽しめます。

平成19年5月31日 朝倉観光協会

山田堰ある案内板より










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スポットライト人物伝


【貝原東軒(かいばらとうけん)】
(1651年~1713年)


秋月藩士の娘で益軒の妻女。1668年に数え年18歳で39歳の益軒と結婚します。書・和歌の他、箏(そう・琴に似た楽器)や胡琴(こきん・中国から伝わった弦楽器)などの楽器にも通じていました。益軒の著作編纂を陰から助け、「女大学」を記述したのは東軒ではないかといった説もあります。益軒が没する前年に63歳で亡くなっています。


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