■福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!
■名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡
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■はじめに…お願いと参考書
2022.12.25
【記想録】是れを過ちと謂う
2022.12.4
【記想録】冷眼にて人を観る
2022.11.5
【記想録】人を責むる者は・・・
2022.10.15
【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?
2022.9.18
【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり
2022.9.13
【記想録】怒りを以って師を興すべからず
2022.8.27
【記想録】佐々木小次郎の経歴
2022.8.1
【記想録】完戸何某との決闘
2022.7.24
【記想録】夢想権之助の挑戦
2022.7.3
【記想録】行蔵は我に存す
蒲船津城跡 蒲船津城は、戦国時代、この一帯を治めていた蒲池氏の本拠地である柳川城を守るために設けられた、支城のひとつだったと言われています。 肥前(佐賀)の龍造寺隆信は、天正九年(一五八一)に柳川城主の蒲池鎮並(かまちしげなみ)を謀殺すると、一気に柳川に攻め込み、蒲池氏のせん滅を企でました。この時、黒木(蒲池)益種が蒲船津城を守っていましたが、龍造寺勢の猛攻にあい落城。その後、龍造寺四天王のひとり、百武賢兼(ひゃくたけともかね)が城番になったと伝えられています。 城の正確な位置はわかっていません。次郎丸や旗角目(はたがくめ)、門の内などの呼び名が残っている、字村中(むらなか)周辺が城跡だったと考えられています。 平成十八年六月
【平貞能(たいらさだよし)】(?~?)鎮西反乱が起こると1181年、筑紫に派遣されその翌年には乱を平定し一旦帰還しますが、都は木曽義仲の軍が迫り大混乱の中にありました。貞能は「都に留まるべき」と主張しますが、平家一門は西へ落ちて行き、仕方なく貞能もその後を追って大宰府に入ります(平家物語では東国に向かい宇都宮朝綱の元に身を寄せたとされています)。しかし、今度は豊後の緒方惟義が九州退去を勧告し兵3万で大宰府に迫ります。一門は着の身着のま.....[全文を表示]
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