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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

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新着情報

2022.12.25

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2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

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2022.9.18

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2022.9.13

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2022.8.27

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【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
事は密を以って成り、語は泄(も)るるをもって敗る
韓非子





名所旧跡・朝倉・うきは
 【秋月城跡】-朝倉市-




 【秋月の由来】
秋月という地名は正暦三年(紀元九九二年)九月二十日に筑前国府宛に太宰府が出した官符によると、九四〇年代にこの地が筥崎八幡宮の荘園になった時に秋月荘と名付けられたからのようである。 山に囲鐃されたこの盆地は外敵の侵入を防ぐには便利な土地である。従って昔から覇権を狙う者は根拠地とした。 遠くは神功皇后が古処山に拠った羽白熊鷺を討たれた。 下っては鎌倉幕府の二代将軍源頼家が、原田種雄に建仁三年(紀元一二〇三年)に秋月荘を送ったので、種雄は秋月氏と称し古処山城を中核に覇を張り十六代三八五年間、天正十五年の豊臣秀吉の九州征伐まで盛衰の歴史を繰り返した。ここの地名は俗に梅園という。 黒田長政の死後、その三男長興が五万石貰って分封されて秋月藩主となった。とき元和九年のことである。 以来廃藩置県まで十二代二四六年間、黒田氏はここの館に住んでいたのである。
甘木市教育委員会 79-03

「秋月の由来」説明板より

秋月氏について
秋月氏の祖は「藤原純友の乱」で小野好古と共に乱を平定した大蔵春実といわれ、乱平定後は大宰府より南に6㎞ほど離れた原田(はるだ)に居を構え原田氏を名乗ります。 その後、原田氏は「源平の戦い」で平氏につき敗北、源氏より所領を没収されます。 しかし将軍が頼朝から頼家に代わると原田種雄は秋月の地を与えられたため、そこに城を築き秋月氏を名乗ります。 秋月氏はそれから400年近く続きますが、豊臣秀吉の九州平定の際は島津側につき、島津降伏後に日向串間に転封されました。 明治維新期の1876年「秋月の乱」の舞台にもなったこの地は現在「福岡の小京都」と呼ばれ福岡有数の観光地となっています。 ちなみに今に残る城跡は1624年、黒田藩によって秋月氏の廃城を改修改築し支藩・秋月藩として分藩したときのものです。











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スポットライト人物伝


【大蔵春実(おおくらはるざね)】
(?~?)


前漢高祖・劉邦、後漢光武帝・劉秀の血を受け継ぐといわれる人物で朝廷より「藤原純友の乱」の平定に派遣されます。 乱の平定後は大宰府南方の原田に屋敷を置き大宰大監(だざいだいかん)に就任します。その後、京都に戻りますが その地に残った子孫は地名の原田氏を名乗り筑紫の豪族となります。また江戸時代の米沢藩の財政を立て直した上杉鷹山は春実の末裔に当たります。



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