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■はじめに…お願いと参考書
2022.12.25
【記想録】是れを過ちと謂う
2022.12.4
【記想録】冷眼にて人を観る
2022.11.5
【記想録】人を責むる者は・・・
2022.10.15
【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?
2022.9.18
【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり
2022.9.13
【記想録】怒りを以って師を興すべからず
2022.8.27
【記想録】佐々木小次郎の経歴
2022.8.1
【記想録】完戸何某との決闘
2022.7.24
【記想録】夢想権之助の挑戦
2022.7.3
【記想録】行蔵は我に存す
城山
少弐景資の墓 少弐景資は、文永十一年(一二七四)と弘安四年(一ニハー)の二回に渡る蒙古襲来に際し、第一線の指揮官として活躍した勇将であります。 弘安七年北条時宗が病没した後、鎌倉幕府の内部一に政権争いが起こり、御家人中の最大有力者であった安達泰盛一族が、北条氏得宗(本家)の家宰平頼綱一派によって討伐されました。弘安八年(一二八五)十一月の霜月騒動であります。 当時、少弐景資は蒙古合戦に参戦した多数の鎮西御家人の要請を汲み取って、また、得宗勢力の進出を喰い止めるために、岩門城(墓より東北側約七〇〇米の城山)に挙兵しました。 太宰府に居た景資の兄少弐経資は鎮西奉行・筑前守護人としての責任上、肥前守護北条時定等と共に得宗派に組し岩門城を攻めて弟景資を滅ぼしました。これを岩門合戦と申します。外国侵略防衛の第一の功将も国内政略の犠牲となったのです。 この五輪塔は、岩門城で戦没した景資の墓と伝えられて来たものであります。 平成六年三月 那珂川町商工会 建立
平成六年三月 那珂川町商工会 建立
【一色範氏(いっしきのりうじ)】(?~1369年)「多々良浜の戦」に勝利した尊氏に九州探題を命じられた一色範氏はそのまま筑前に残りますが、 これに「筑前に二人の主は要らず」と反発したのが少弐頼尚で両者は争うことになります。 この武家派同士の戦いに乗じ、南朝方の菊池氏も再び肥後から筑後筑前へ進出してきます。 範氏はまず菊池氏と手を結び1351年「月隈・金隈の戦い」で少弐氏と、1353年「針摺原の戦い」で菊池・少弐氏の連合軍と争います。 しかし「針摺.....[全文を表示]
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