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福岡史伝・幕末・維新 【真木和泉-禁門の変-】(1864年)
子母沢寛氏の「新選組始末記」には真木和泉と同士たちの最期が記されていますが、その概要は次の通りです。 「禁門の変」で長州勢の敗色が濃くなると逃げ帰るのを潔しとせず、同士16名と共に天王山へ登ります。 そこへ新選組と会津藩兵が駆けつけると、真木和泉は金色の烏帽子に直垂の姿で山巓(さんてん)に現れ声高に名乗り、朗々と詩を吟じます。 その大胆な態度に、新選組はその姿をただじっと見つめていたといいます。 そして吟じ終わると、真木隊の大砲小銃の射撃が始まります。新選組は射撃が止むまで待ち、山上へ駆け上りますが、 その時、真木隊本営からは焔が上がり同士一同が自決した後だったということです。 |
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