■福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!
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2022.12.25
【記想録】是れを過ちと謂う
2022.12.4
【記想録】冷眼にて人を観る
2022.11.5
【記想録】人を責むる者は・・・
2022.10.15
【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?
2022.9.18
【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり
2022.9.13
【記想録】怒りを以って師を興すべからず
2022.8.27
【記想録】佐々木小次郎の経歴
2022.8.1
【記想録】完戸何某との決闘
2022.7.24
【記想録】夢想権之助の挑戦
2022.7.3
【記想録】行蔵は我に存す
将軍梅
正平十四年(一三五九年)の夏、征西将軍宮懐良親王を奉じた菊池武光らがこの地に陣を敷いた。親王は、念持仏である阿弥陀像をここに安置し、手向けに一株の紅梅をお手植になり、百万遍の仏名を唱えられたとされている。 対する少弐頼尚は味坂(小郡市)に滞陣した。八月六、七日、両軍は入り乱れての血戦を交えた。これが有名な大保原の合戦である。 戦いに加わり戦死した兵士は数干に及ぶといわれる。菊池武光の弟武邦は追慕のあまり出家して、この梅樹のほとりに庵を結び、親王の念持仏に戦死者の冥福を祈ったという。これが側の遍万寺である。 星霜を重ねて、親王が手向けられた紅梅は老樹となり里人の語り草となって、この老梅樹を人々は「将軍梅」と呼ぶようになったのである。
【竹崎季長(たけざきすえなが)】(1246年~?)肥後の竹崎季長は文永・弘安の役に参陣し奮戦します。 戦後は「蒙古襲来絵詞」を残しますが、現在ではこの絵巻が戦役の重要な資料となっています。
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