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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

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余談…ひとり言的な話です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
井の中の蛙 空の深さを知る
-荘子の「井の中の蛙」から作られた対義語的な造語-
不明





福岡史伝・戦国
 【休松の戦い】(1567年)

休松の戦いが起こった一帯
毛利氏は周防長門を平定し次に東の尼子氏を倒すと、大内氏の領した筑前を取り戻すため動き出します。
1567年8月、筑前では毛利氏の支援を受けて秋月種実が大友氏に反旗を翻します。
大友宗麟は戸次鑑連(べっきあきつら・後の立花道雪)、吉弘鑑理(よしひろあきなお・高橋紹運の実父)、臼杵鑑速(うすきあきすみ)の有力武将へ2万の兵を与え鎮圧に当たらせますが、 8月14日の緒戦に秋月種実は古処山の麓で激しい戦いを仕掛けるものの、以後は古処山城に入り守りを固めます。 大友方の三将も天然の要害・古処山城を攻める手立てもなく膠着状態に入りますが、 そこに毛利勢の九州渡海の動きを知らせる情報が入ります。 この報に接した毛利に心を寄せる豊前、筑後の諸勢力は理由をつけて大友軍から離脱し各々の所領に帰える準備を始めます。 大友に遺恨のない武将たちもこの動きに動揺し自領を固める名目で戦線を離れる者が多くなります。
このような状況の中、大友宗麟の命で三将は一旦、筑後の高良山へ兵を引くことになりますが。 その9月3日の夜、撤退を開始した大友勢の背後に秋月勢4千が突如として襲い掛かります。 20日間もの間、城に籠もっていた兵が攻撃してくる事を予測していなかったのか、 大友勢は大混乱に陥り逃げ落ちて来る味方を敵勢と勘違いし同士討ちが起こります。 戸次鑑連はこの状態を収拾し秋月勢と戦いますが、豊後目指して逃げ帰る味方の大軍の動きは止められず、多くの戦死者を出し撤退することになりました。

10年前にこの地で父・秋月文種を大友の軍に討たれ、自らも命からがら毛利元就の元まで逃れた経験のある秋月種実はこの戦いで溜飲を下ろすことになります。









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スポットライト人物伝


【黒田忠之(くろだただゆき)】
(1602年~1654年)


行動に何かと問題のある嫡男・忠之は黒田藩の後継者から外されそうになりますが、栗山大善の支援によりその立場を守ります。 しかし初代藩主・長政の没後に藩主の座についた忠之は栗山大善と不仲になります。 二人の関係が泥沼化すると忠之はついに大善から幕府へ訴えられます。 改易が相次いでいた時期でもあったため黒田藩も取り潰しの憂き目に合いますが、 幕閣の配慮により大善は南部藩預かりとなりことは収められました。



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