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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
かざりなく質朴にして、けがれなく、いさぎよかるべし。
養生訓





わかっていない事
 【近江毛野の役職は?】-「磐井の乱」の近江毛野は将軍それとも使者?-

527年、継体天皇の意を受けた近江毛野(おうみのけな)は新羅と戦うため兵6万を率い任那に向かいますが、途中の九州で国造の磐井が乱を起こしこれを阻みます。 日本書紀の継体記によると行く手を塞いだ磐井は近江毛野に「お前は今は使者として来ているが、俺たちは昔、肩や肘をすれ合わしながら同じ釜の飯を喰った仲だ。急に王の使者と言われても『はいそうですか』と簡単には従えない」といった内容を大声で言い放ったといいます。 不思議なのはここで近江毛野は「使者」となっている事です。兵6万を率いた者を普通は使者とは呼びません。このことより近江毛野は6万の兵を率いたのではなく、兵6万を集めていたのではと疑問が湧いてきます。実際のところ近江毛野は6万の兵を率いたにも関わらず、出兵命令を拒否した磐井と一戦交えたという記述が日本書紀には見当たらないのです。
あくまでも想像の域を出ないのですが、近江毛野は若かりし日に朝鮮で共に戦った戦友の磐井に朝鮮出兵の兵を出すよう命令しますが、現状の朝鮮半島での形勢不利を身をもって知っている磐井は出兵に理がないことを説き、これを拒否します。近江毛野は当然この件を大和に伝えますが、継体天皇はこれを新羅と結んだ磐井の反抗と受け取り、物部麁鹿火(もののべのあらかい)を派遣し磐井を討った。という流れが思い浮かびます。ちなみに筑後国風土記には「突然官軍が襲ってきた」と記されているそうです。









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スポットライト人物伝


【竹崎季長(たけざきすえなが)】
(1246年~?)


肥後の竹崎季長は文永・弘安の役に参陣し奮戦します。 戦後は「蒙古襲来絵詞」を残しますが、現在ではこの絵巻が戦役の重要な資料となっています。



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