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余談
 【三国志について

「邪馬台国はどこ?」の冒頭で「皆さんよくご存知の『三国志』には・・・」と書いてしまいましたが、 正確に書くと日本で一般的に知られているのは晋の時代に陳寿によって書かれた史書の「三国志」ではなく、 明の時代に書かれた羅貫中の「三国志演義」になります。 この「三国志演義」は「三国志」を元に書かれた読み物(小説)で歴史書ではないのです。 三国志本の愛読者はこの辺りの事情をよくご存知でしょが、 劇画や映画・人形劇などでのみで三国志に触れられた方は、 一度、吉川英治氏の「三国志」とその八巻の解説をご参照いただければご理解いただけると思われます。
ただ血湧き肉躍る「三国志」を演出してくれた羅貫中の功績は大きく、 「三国志演義」は「三国志」という名で現在も世界各国で読み継がれています。




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スポットライト人物伝


【菊池武時(きくちたけとき)】
(1292年~1333年)


鎮西探題・北条英時の呼びかけで博多に参陣した肥後の菊池武時はこれを好機と捉え鎮西探題打倒の旗を揚げ北条英時の探題へ討ち入ります。 しかし探題打倒の密約を交わしていた少弐、大友両氏は探題側につき菊池武時は討たれます。 武時は前夜に少弐貞経、大友貞宗に決起要請の使者を送っていたので、当然、鎮西探題側は武時の動きを察知していたことになります。 武時もこの事は承知の上で決死の討入りだったようで、鎮西探題へ.....[全文を表示]



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