福岡人物伝 【宮崎車之助(みやざきしゃのすけ)】「秋月の乱」の中心的な人物ですが決起には消極的だったようです。豊津藩の反政府勢力と合流するため豊津に向いますが、 そこで乃木希典の指揮する小倉の歩兵第14連隊の攻撃を受け撤退します。 そして決起より4日後には乱の中心となった人物6名と共に自刃することになりました。
「秋月の乱」の中心的な人物ですが決起には消極的だったようです。豊津藩の反政府勢力と合流するため豊津に向いますが、 そこで乃木希典の指揮する小倉の歩兵第14連隊の攻撃を受け撤退します。 そして決起より4日後には乱の中心となった人物6名と共に自刃することになりました。
【山鹿秀遠(やまがひでとう)】(?~1185年?)豊前国との境、筑前国山鹿の豪族です。治承・寿永の乱では平家方に属し、大宰府を追われた安徳天皇と平家一門に最後まで付き従います。壇の浦では平家の主力として戦いますが、平家一門と運命を共にしたものと思われ、以後は歴史に登場することはないようです。ところで山鹿いえば熊本の山鹿市が有名ですが、山鹿氏は菊池氏の同族といわれることから菊池市に隣接する山鹿市と筑前の山鹿の地名には何らかの関係があるのかもしれませ.....[全文を表示]
▲