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福岡人物伝
 【加藤司書(かとうししょ)

西洋諸国の介入を招く恐れのある国内対立を早期に収束させるため、 西郷隆盛と共に第一回長州征討軍解兵に尽力します。しかし一年後には藩内・佐幕派の台頭で「乙丑の獄」が起こり、 博多の天福寺で切腹することになります。 ちなみに福岡藩と土佐藩の成り立ちは「関ヶ原の戦い」より徳川家の天下平定に協力し、外様ながら譜代以上の待遇を得ていることで類似しています。 また幕末には勤王党が活発な活動をし、弾圧された面でもよく似てますが、ただ一つ土佐勤王党が郷士を中心として組織されたのに対して、 筑前勤王党が家柄に関係なく組織された面に相違があるようです。この加藤司書も上流武士の出身で筑前勤王党の中心人物となり、家老職にも就いています




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スポットライト人物伝


【立花宗茂(たちばなむねしげ)】
(1567年~1643年)


高橋紹運の長男として生まれ後に嫡男のない立花道雪に請われて養子となり立花家を継ぐことになります。 島津軍の筑前侵攻では父・紹運が岩屋城で玉砕するものの、宗茂は香椎北東の立花山城に篭り豊臣秀吉の援軍が九州に上陸するまで城を守りきります。 その後、数々の武功を上げ秀吉より柳川13万石を与えられますが、関ヶ原の戦いでは秀吉への恩義から西軍についたため改易され浪人となります。 しかし20年後には許され柳川.....[全文を表示]



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