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福岡人物伝
 【亀井南冥(かめいなんめい)

大阪で儒学や医学を学び1785年に福岡藩西学問所・甘棠館(かんとうかん)の館長となります。 この頃に志賀島で発見された金印を漢の光武帝より奴国王へ送られた「漢委奴国王印」と鑑定します。 これが現在、福岡市博物館に所蔵される金印です。 甘棠館は後に廃校となり学生は東学問所の修猷館に統合されますが、 私塾亀井塾として亀井学派は存続し門下生から平野國臣や高場乱、広瀬淡窓などを排出しています。 広瀬淡窓は天領日田に「咸宜園(かんぎえん)」を創設した人物でそこからは高野長英、大村益次郎、上野彦馬などが出ています。




















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スポットライト人物伝


【神功皇后(じんぐうこうごう)】
(?~389年頃)


仲哀天皇の后で朝鮮半島へ出兵し自らも向かいます。主に九州北部中心で活動した人物で、 その一帯には皇后を祭る神社・史跡や伝説が数多く残ります。仲哀天皇と同じく架空の人物という説もあります。



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