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福岡人物伝
 【菊池武光(きくちたけみつ)

菊池武時の十男で、母親方の後ろ盾がなかったためか十三代頭主の兄・菊池武重の没後、弟の武士(たけし)にその座を譲ります。しかし公卿の娘の子であった武士は武力、統率力に欠けたのか頭主の座を廃されて、武光が十五代頭主となります。 その後 武光は後醍醐天皇の皇子・懐良親王を迎え着々と勢力を拡大し筑後から筑前へ侵攻します。 この時、筑前では北朝方の少弐頼尚と九州探題・一色範氏との間で内部抗争が起こっていました。 武光は先ず一色範氏と手を結び少弐頼尚に当たり、次に頼尚と同盟し範氏を破ります(針摺原の戦い)。 この戦いで大敗を喫した範氏は後に九州を追われます。 そして武光は残った宿敵・少弐頼尚と「筑後川の戦い」で壮絶な戦い繰り広げ、勝利を勝ち取り2年後には大宰府を奪います。 この時より12年間、九州は南朝勢力が掌握することとなります。




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スポットライト人物伝


【源為朝(みなもとためとも)】
(1139年~1170年)


父親の源為義より勘当され九州にやって来た為朝は自ら鎮西八郎を名乗ります。 「鎮西」とは九州の治安を守る機関またはその統率者のことで、「八郎」は源為義の八男を表しているのですが、 この八郎、九州の治安を守るどころか豊後を中心に肥後、豊前、筑前で暴れ回ったようで、 その傍若無人な行動により遂に香椎宮に訴えられ朝廷より帰京を命ぜられています。 始め八郎はこの命令を無視していましたが、息子の責任を負った父.....[全文を表示]



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