福岡人物伝 【島津貞久(しまづさだひさ)】「元弘の乱」で少弐貞経、大友貞宗と共に鎮西探題・北条英時を攻め滅し、「多々良浜の戦い」では足利軍に属して戦います。 島津氏は少弐氏、大友氏と共に鎌倉時代に守護を命じられ少弐氏は九州北西部、大友氏は北東部、そして島津氏が九州南部を治めます。 この三氏は九州御三家と呼ばれ九州の中心武家として戦国時代まで存続しますが、江戸時代以降も続いたのはこの島津氏だけでした。
「元弘の乱」で少弐貞経、大友貞宗と共に鎮西探題・北条英時を攻め滅し、「多々良浜の戦い」では足利軍に属して戦います。 島津氏は少弐氏、大友氏と共に鎌倉時代に守護を命じられ少弐氏は九州北西部、大友氏は北東部、そして島津氏が九州南部を治めます。 この三氏は九州御三家と呼ばれ九州の中心武家として戦国時代まで存続しますが、江戸時代以降も続いたのはこの島津氏だけでした。
【グラバー(ぐらばー)】(1838年~1911年)イギリス商人で倒幕派に武器の販売なども行いますが、維新後は自分の会社の倒産を経験します。 基本的に日本は好きだった様で、日本人女性と結婚し日本で終焉を迎えます。 このグラバー氏、太宰府天満宮を数回訪れてその度に「麒麟像」を長い間、眺めていたという話が伝わっています。
▲