福岡人物伝 【大友貞宗(おおともさだむね)】「元弘の乱」で北条英時の鎮西軍と共に鎮西探題に討入った菊池武時を敗死させますが、 その2ヵ月後には少弐貞経と共に北条英時を攻め滅ぼし最後の北条氏の勢力を殲滅します。そしてその7ヶ月後には貞宗自身も急死する事になります。
「元弘の乱」で北条英時の鎮西軍と共に鎮西探題に討入った菊池武時を敗死させますが、 その2ヵ月後には少弐貞経と共に北条英時を攻め滅ぼし最後の北条氏の勢力を殲滅します。そしてその7ヶ月後には貞宗自身も急死する事になります。
【立花宗茂(たちばなむねしげ)】(1567年~1643年)高橋紹運の長男として生まれ後に嫡男のない立花道雪に請われて養子となり立花家を継ぐことになります。 島津軍の筑前侵攻では父・紹運が岩屋城で玉砕するものの、宗茂は香椎北東の立花山城に篭り豊臣秀吉の援軍が九州に上陸するまで城を守りきります。 その後、数々の武功を上げ秀吉より柳川13万石を与えられますが、関ヶ原の戦いでは秀吉への恩義から西軍についたため改易され浪人となります。 しかし20年後には許され柳川.....[全文を表示]
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