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福岡人物伝
 【安徳天皇(あんとくてんのう)

木曽義仲が京都に攻め上ると、安徳天皇は平家一門に守られ筑紫大宰府へ逃げ落ちます。 しかし、大宰府も安住の地ではなく緒方氏に攻められ四国屋島へ逃れます。 その後、「一の谷の戦い」、「屋島の戦い」と源義経の軍に破れ、ついに1185年4月「壇ノ浦の戦い」で平家軍が壊滅すると、 僅かに五歳の安徳天皇は二位の尼(平時子、外祖母で平清盛の妻)と共に入水し亡くなります。 ところで平家一門が都落ちで大宰府に入ったときは、大宰府は戦乱で焼け落ちていたといわれ、 安徳天皇は那珂川の原田種直屋敷に滞在したとも言われています。現在、その地は「安徳」という地名で残っています。




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スポットライト人物伝


【豊臣秀吉(とよとみひでよし)】
(1537年~1598年)


織田信長の部下として頭角を現した秀吉は、信長の死後その領地をほぼ継承し、四国を手中に収めると次に九州平定に着手します。 そして1587年に島津義久を降すと筑前へ戻り、「博多町割」と呼ばれる復興を行います。 権力掌握後の秀吉に対しては様々な評価がありますが、海外貿易を重視する秀吉に対する博多商人たちの期待と信頼の気持ちは大きなものだったと思われます。



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