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福岡人物伝
 【安徳天皇(あんとくてんのう)

木曽義仲が京都に攻め上ると、安徳天皇は平家一門に守られ筑紫大宰府へ逃げ落ちます。 しかし、大宰府も安住の地ではなく緒方氏に攻められ四国屋島へ逃れます。 その後、「一の谷の戦い」、「屋島の戦い」と源義経の軍に破れ、ついに1185年4月「壇ノ浦の戦い」で平家軍が壊滅すると、 僅かに五歳の安徳天皇は二位の尼(平時子、外祖母で平清盛の妻)と共に入水し亡くなります。 ところで平家一門が都落ちで大宰府に入ったときは、大宰府は戦乱で焼け落ちていたといわれ、 安徳天皇は那珂川の原田種直屋敷に滞在したとも言われています。現在、その地は「安徳」という地名で残っています。




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スポットライト人物伝


【月形洗蔵(つきがたせんぞう)】
(1828年~1865年)


儒学者の家庭に育ち、王政復古の思想を掲げ参勤交代の不要を藩主黒田長溥に建白しますが、 これが長溥の怒りを買い蟄居させられます。しかし三条実美ら五卿福岡遷座の際には罪を許され、 下関まで五卿を出迎えに行くことを命じられています。



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