福岡人物伝 【吉備真備(きびまきび)】奈良時代に安倍仲麻呂や玄昉と共に唐に派遣された留学生です。時の権力者の橘諸兄(たちばなもろえ)の元で改革を進めたものと思われますが、しかし何があったのか突然、筑前守として左遷されます。大宰府では副遣唐使や大宰少弐、大弐を歴任し、また筑紫の軍備や防衛を任される任務についていたようです。学識も高かったようで、大宰府まで派遣された官人に諸葛亮や孫子の戦術を講義しています。 都への復帰の時期は不明ですが、藤原仲麻呂の乱の頃には戻っていたようで、仲麻呂の討伐を命じられます。
奈良時代に安倍仲麻呂や玄昉と共に唐に派遣された留学生です。時の権力者の橘諸兄(たちばなもろえ)の元で改革を進めたものと思われますが、しかし何があったのか突然、筑前守として左遷されます。大宰府では副遣唐使や大宰少弐、大弐を歴任し、また筑紫の軍備や防衛を任される任務についていたようです。学識も高かったようで、大宰府まで派遣された官人に諸葛亮や孫子の戦術を講義しています。 都への復帰の時期は不明ですが、藤原仲麻呂の乱の頃には戻っていたようで、仲麻呂の討伐を命じられます。
【黒田長興(くろだながおき)】(1610年~1665年)黒田長政は後継者に三男の長興を立てようとしますが、栗山大善ら家臣団の猛烈な反対に合い諦め、長男・忠之を後継者とします。 ただ忠之のみに黒田藩を託すことに不安を抱いた長政は、長興に五万石を与え分藩させることにしました。 これが秋月藩になります。
▲