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福岡人物伝
 【大伴金村(おおともかなむら)

西暦500年代前半から中盤にかけての大和王権の重臣。倭国の朝鮮半島へ影響力が弱まると百済に任那四県割譲を行い、 また「磐井の乱」では継体天皇に物部麁鹿火を討伐軍の将軍に推薦します。 のちに任那四県割譲問題で責められ大和政権の表舞台より去ることになります。 ちなみにこの人物は九州に来た記述はないようですが、息子の磐(いわ)と狭手彦(さてひこ)を任那支援に向かわせ、 磐は筑紫で後方支援を担当したと日本書紀に記載されています。 そして狭手彦は唐津より出航して任那へ向ったといわれますが、 その時、松浦佐用姫(まつらさよひめ)という女性が狭手彦との別れを悲しむ余り、そのまま石になってしまったという伝説が残っています。




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スポットライト人物伝


【斉明天皇(さいめいてんのう)】
(594年~661年)


中大兄皇子の母親で重祚(二度以上、天皇の地位に在位すること)した初めての天皇です。 二代前の皇極天皇の時に皇子の蘇我入鹿暗殺を目の当りにし退位を決意しますが、 再び斉明天皇として皇位に就き、百済復興のため入った筑紫で崩御します。 観世音寺はこの斉明天皇を弔うために中大兄皇子が建立した寺といわれています。



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