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福岡人物伝
 【大伴金村(おおともかなむら)

西暦500年代前半から中盤にかけての大和王権の重臣。倭国の朝鮮半島へ影響力が弱まると百済に任那四県割譲を行い、 また「磐井の乱」では継体天皇に物部麁鹿火を討伐軍の将軍に推薦します。 のちに任那四県割譲問題で責められ大和政権の表舞台より去ることになります。 ちなみにこの人物は九州に来た記述はないようですが、息子の磐(いわ)と狭手彦(さてひこ)を任那支援に向かわせ、 磐は筑紫で後方支援を担当したと日本書紀に記載されています。 そして狭手彦は唐津より出航して任那へ向ったといわれますが、 その時、松浦佐用姫(まつらさよひめ)という女性が狭手彦との別れを悲しむ余り、そのまま石になってしまったという伝説が残っています。




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スポットライト人物伝


【小野岑守(おのみねもり)】
(778年~830年)


平安初期の政治家で伝説の詩人・小野篁(たかむら)の父親になります。文人でもあり「凌雲集」「日本後紀」の編纂にもあたります。大宰大弐として着任した際、道端に行き倒れた人々を目の当たりにし、これをあわれみ救済施設「続命院」を創設します。
余談になりますが、幕末維新に活躍した医師・高松凌雲の号は福祉に勤めた岑守の編纂した「凌雲集」が元になっているのかもしれません。




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