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福岡史伝・奈良
 【怡土城の築城(756年)

怡土城跡のある高祖山

怡土城(いとじょう)は奈良時代に、高祖山(たかすやま)に築かれた山城になります。高祖山は福岡市西区と糸島市を隔てる位置にあり、鎌倉時代には筑前の古豪、原田氏の居城となっています。
続日本紀には「756年6月怡土城築城を始め、太宰大弐の吉備真備(きびまきび)をその責任者とした」と書かれています。
築城の理由は、築城開始の前年の755年11月に中国・唐で起こった「安史の乱」が影響しているようです。翌12月には遣渤海使の小野田守よりその情報がもたらされ、天皇からは大宰府の大宰帥・船王と吉備真備に「安禄山の来寇があるかはわからないが、準備をするように」と勅がなされています。そして761年11月には真備が西海道節度使に任じられ、軍の整備を命じられます。
翌年の762年10月には「安史の乱」は終結しますが、その後も怡土城の築城は勧められ築城開始から12年を経た「768年2月に完成した」と続日本紀には記されています。


吉備真備によって築城された「怡土城」と原田氏の「高祖城」は同じ高祖山にあったようですが、「怡土城」の中心地は山の北側(博多湾側)にあり、城壁は古代城郭の「大野城」などと同じく広大なものだった様です。「高祖城」は高祖山の南側の高い峰に位置し鎌倉から戦国にかけての城郭で天守の周りを石垣で強固に守る形態だったと想像されます。

















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スポットライト人物伝


【黒田忠之(くろだただゆき)】
(1602年~1654年)


行動に何かと問題のある嫡男・忠之は黒田藩の後継者から外されそうになりますが、栗山大善の支援によりその立場を守ります。 しかし初代藩主・長政の没後に藩主の座についた忠之は栗山大善と不仲になります。 二人の関係が泥沼化すると忠之はついに大善から幕府へ訴えられます。 改易が相次いでいた時期でもあったため黒田藩も取り潰しの憂き目に合いますが、 幕閣の配慮により大善は南部藩預かりとなりことは収められました。



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