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余談
 【原鶴温泉の歴史




原 鶴 ~県内有数の出湯の里~

温泉と言えば、県内有数の名を馳せる原鶴温泉が志波に在る。「杷木町史」によれば、原鶴温泉のほとんどが単純温泉アルカリ温泉である。原鶴は、火山帯から離れていることから、非火山温泉である。次に原鶴温泉の歴史をみてみよう。

①原鶴温泉の発見は、明治14年11月とされている。土地の人が魚を取りに来た所、川の中からもうもうたる温泉の湧き出ているのを発見した事による。

②その後、次第に温泉の施設、設備も整い、浴客を迎えるようになったが、明治22年の大洪水で荒廃している。

③その後、大正4年9月、初めて60度の温泉が湧出し、旅館も6軒に増えている。

④その後、原鶴温泉の知名度も高まり、一層の発展を遂げたが、復興の力は、目覚しく今日の隆盛へとつながっている。

現在も、福岡の奥座敷と言われ、年間50万人と、数多くの湯治客を迎えている。主な年中行事として、4月の菜の花ロードウォーク、5月の川開き花火大会(鵜飼開始)、6月のハーブフェスタ、9月の船上観月会などがある。

平成19年3月 志波地域コミュニティ協議会




上記の内容は原鶴温泉の一画にある公園に立てられる案内板より転載しています。この公園には第15代横綱『梅ケ谷藤太郎』の記念碑もあり、また大薙刀の使い手『野上一閑』の事が記される原鶴古戦場の案内板も置かれています。
コロナが終息したら、福岡最大の温泉街「原鶴温泉」へ let’s go!!



















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スポットライト人物伝


【母里太兵衛(ぼりたへえ)】
(1556年~1615年)


黒田家の武将。「黒田節」は太兵衛が大杯の酒を呑み干し福島正則より名槍「日本号」を受け取った出来事を唄にしたものです。 太兵衛はこの唄で詠われた「日本号」を朝鮮役で太兵衛の窮地を救った後藤又兵衛へ送ったといわれます。 そして「大阪夏の陣」で又兵衛が討死すると、太兵衛もまた時をおかず死去しています。



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