余談 【井上伝の胸像】久留米絣の開発者、井上伝の胸像です。この像は近代産業の担い手となった著名人とともに久留米・五穀神社の東側に立っています。 絣とは織る前に糸の一部を染め、その染まった部分と染まっていない部分の交わり方で柄をだす綿織物になります。ちなみに福岡県には久留米絣とは別に博多織という有名な織物がありますが、こちらは絹織物になります。
久留米絣の開発者、井上伝の胸像です。この像は近代産業の担い手となった著名人とともに久留米・五穀神社の東側に立っています。 絣とは織る前に糸の一部を染め、その染まった部分と染まっていない部分の交わり方で柄をだす綿織物になります。ちなみに福岡県には久留米絣とは別に博多織という有名な織物がありますが、こちらは絹織物になります。
【加藤司書(かとうししょ)】(1830年~1865年)西洋諸国の介入を招く恐れのある国内対立を早期に収束させるため、 西郷隆盛と共に第一回長州征討軍解兵に尽力します。しかし一年後には藩内・佐幕派の台頭で「乙丑の獄」が起こり、 博多の天福寺で切腹することになります。 ちなみに福岡藩と土佐藩の成り立ちは「関ヶ原の戦い」より徳川家の天下平定に協力し、外様ながら譜代以上の待遇を得ていることで類似しています。 また幕末には勤王党が活発な活動をし、弾圧された面.....[全文を表示]
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