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意外な人物伝
 【男装の漢詩人・原采蘋(江戸時代末期)-酒豪の女流詩人-

山家・原采蘋の塾跡

福岡では幕末維新期に男装の女医・高場乱が登場しますが、一世代前の1798年にもう一人の男装の漢詩人・原采蘋(はらさいひん)が秋月に生まれています。
父親は甘棠館で亀井南冥に学んだ原古処で、秋月藩の儒学者。兄と弟がいましたが、病弱だったため古処は采蘋に期待をかけ、中国地方や九州各地への遊歴に伴います。
古処の没後も采蘋は、京都、江戸へと遊歴を続け、その間に教えを乞うた学者や詩人には咸宜園の広瀬淡窓、日本外史を書いた頼山陽、安政の大獄で捕縛される直前に死去した梁川星巌など歴史に名を遺す人が多くいます。
ところで采蘋の男装帯刀は一人旅でのトラブルに巻き込まれるのを避けるためといわれていますが、実際の采蘋は大柄で大酒家、名だたる学者の前でも動じることがなかったといい、女傑だったことも伺われます。
因みに采蘋は頼山陽の弟子・江馬細香、梁川星巌の妻・梁川紅蘭と共に三大女流漢詩人といわれています。


写真は筑紫野市山家にある原采蘋の私塾跡になります。






























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スポットライト人物伝


【一色範氏(いっしきのりうじ)】
(?~1369年)


「多々良浜の戦」に勝利した尊氏に九州探題を命じられた一色範氏はそのまま筑前に残りますが、 これに「筑前に二人の主は要らず」と反発したのが少弐頼尚で両者は争うことになります。 この武家派同士の戦いに乗じ、南朝方の菊池氏も再び肥後から筑後筑前へ進出してきます。 範氏はまず菊池氏と手を結び1351年「月隈・金隈の戦い」で少弐氏と、1353年「針摺原の戦い」で菊池・少弐氏の連合軍と争います。 しかし「針摺.....[全文を表示]



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