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名所旧跡・大野城・宇美
 【小水城跡-大野城市旭ケ丘-



小水城跡

上大利小水城跡その風景
水城跡は、鎌倉時代には防衛施設としての機能を失いますが、天智朝に造られたことが地元に伝わっておリ、重要な遺跡として人々に知られていました。 一方、上大利小水城跡は、昭和の初めに竹内榮喜氏によって「稲田中に水城跡と概ね同型の土塁を確認した」と発表されたことにより知られるようになります。 また、この場所の小字名は横堤(よこつつみ)と呼ばれており、田園の中に横たわる土塁は、耕作の合間に馬を休ませたり、生えている草を食べさせたりするなど、人々の生活の中に溶け込み親しまれてきました。 住宅街の中に残るこの小さな土塁は、長い間人々に親しまれてきた記憶を残す、地域の宝として重要なものです。

平成30年3月 大野城市教育委員会



小水城跡にある大野城市教育委員会の案内板より































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スポットライト人物伝


【安徳天皇(あんとくてんのう)】
(1180年~1185年)


木曽義仲が京都に攻め上ると、安徳天皇は平家一門に守られ筑紫大宰府へ逃げ落ちます。 しかし、大宰府も安住の地ではなく緒方氏に攻められ四国屋島へ逃れます。 その後、「一の谷の戦い」、「屋島の戦い」と源義経の軍に破れ、ついに1185年4月「壇ノ浦の戦い」で平家軍が壊滅すると、 僅かに五歳の安徳天皇は二位の尼(平時子、外祖母で平清盛の妻)と共に入水し亡くなります。 ところで平家一門が都落ちで大宰府に入っ.....[全文を表示]



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