Mousegallery






名所旧跡・大野城・宇美
 【小水城跡-大野城市旭ケ丘-



小水城跡

上大利小水城跡その風景
水城跡は、鎌倉時代には防衛施設としての機能を失いますが、天智朝に造られたことが地元に伝わっておリ、重要な遺跡として人々に知られていました。 一方、上大利小水城跡は、昭和の初めに竹内榮喜氏によって「稲田中に水城跡と概ね同型の土塁を確認した」と発表されたことにより知られるようになります。 また、この場所の小字名は横堤(よこつつみ)と呼ばれており、田園の中に横たわる土塁は、耕作の合間に馬を休ませたり、生えている草を食べさせたりするなど、人々の生活の中に溶け込み親しまれてきました。 住宅街の中に残るこの小さな土塁は、長い間人々に親しまれてきた記憶を残す、地域の宝として重要なものです。

平成30年3月 大野城市教育委員会



小水城跡にある大野城市教育委員会の案内板より


















福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【少弐貞経(しょうにさだつね)】
(1272年~1336年)


「元弘の乱」では菊池武時の決起要請の使者を切り捨て、翌日には北条英時の鎮西軍と共に鎮西探題に討入った菊池武時を敗死させます。 そして、その2ヵ月後には大友貞宗と共に北条英時を攻め滅ぼし最後の北条氏の勢力を殲滅します。 しかし、3年後に大宰府へ攻め込んで来た菊池武敏(菊池武時の九男)に有智山城を攻められ自害することになります。



このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝