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名所旧跡・朝倉・うきは
 【朝倉の三連水車-朝倉市-

朝倉の三連水車と堀川用水と山田堰


朝倉の三連水車の観光に訪れた際には水車の見学だけではなく、何故この地に水車が必要だったのか関心をもっていただけると意義のある観光になるかもしれません。

筑後川が大きく南に蛇行する山田の地に江戸時代に設けられた山田堰。この堰は筑後川の北側に農業用水を運ぶ堀川用水へ大量の水を送り込むことを役目とします。
(写真は巨石を敷き詰めて建造された山田堰。現在はコンクリートで補強されているようです)

堀川用水は筑後川の上流から流れてくる大量の水を、その筑後川の押し出す力を利用して山地裾野の田地に運びます。
(写真は堀川用水)

水車は三連1基と二連2基の計3基がありすべて堀川用水の北側に設置されています。堀川用水の北側と南側には高低差があり低い南側には堀川用水から水を直接放流できるのですが、北側の山の裾野の田地には水車の力を利用して送水する必要があったのです。
(三島の二連水車。田植え前のためか水車はすべてメンテナンス中のようでした)

朝倉三連水車の観光は、山田堰、堀川用水と共に三点セットで見学していただければ、三連水車の意味がよく理解できると思われます。下に現地にある案内板の内容と山田堰建造の中心となった庄屋・古賀百工の碑の写真を掲載しておきます。



古賀百工の碑

日本疏水百選堀川用水
 山田堰は、大石堰、恵利堰と並ぶ筑後川三大堰のひとつで「傾斜堰床式石張堰」といい、寛政2年(1790年)に完成した日本では他にない石張り堰です。この堰の特徴は、取水量を増やし、激流と水圧に耐え得るための匠の技が随所に施されていることです。この地の庄屋、古賀百工が農民等とともに築造した山田堰は、朝倉地域の農業史を物語っており、この遺業と美しい田園を次世代に引き継ぎたいものです。
 水神社から山田堰を眺めるめると3つの水路があります。手前から砂利吐き口・中舟通し・南舟通しです。その昔、舟通しに帆掛け舟が往来し、いかだが下った情景を今に伝えます。
 この堰付近は、斉明・天智天皇にまつわる多くの伝承等も残っており、いつ訪れても彩られた四季を感じ、ゆっくり散策が楽しめます。

平成19年5月31日 朝倉観光協会

山田堰ある案内板より





















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スポットライト人物伝


【安徳天皇(あんとくてんのう)】
(1180年~1185年)


木曽義仲が京都に攻め上ると、安徳天皇は平家一門に守られ筑紫大宰府へ逃げ落ちます。 しかし、大宰府も安住の地ではなく緒方氏に攻められ四国屋島へ逃れます。 その後、「一の谷の戦い」、「屋島の戦い」と源義経の軍に破れ、ついに1185年4月「壇ノ浦の戦い」で平家軍が壊滅すると、 僅かに五歳の安徳天皇は二位の尼(平時子、外祖母で平清盛の妻)と共に入水し亡くなります。 ところで平家一門が都落ちで大宰府に入っ.....[全文を表示]



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