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名所旧跡・朝倉・うきは
 【若宮八幡宮狛犬-うきは市-



若宮八幡宮の狛犬

うきは市指定文化財(第一号)
若宮八幡宮狛犬(一対)
弘化二年(一八四五年)の記年銘が残る青銅製の狛犬・江戸時代、吉井の豪商で室屋と称した藤江伴右衛門の寄進である。
筑前博多の山鹿平次郎の制作によるもので、胴部に日田の漢学者、広瀬淡窓の撰文がある。
昭和五十六年十一月一日指定

うきは市教育委員会

「若宮八幡宮狛犬」案内板より

山鹿氏は芦屋釜で有名な芦屋山鹿を出とする博多の鋳物師。太宰府天満宮の麒麟像も山鹿氏によって制作されたといわれます。撰文を書いた広瀬淡窓は福岡の亀井南冥に学び、日田に「咸宜園(かんぎえん)」を創設した儒学者になります。





















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スポットライト人物伝


【小早川秀秋(こばやかわひであき)】
(1582年~1602年)


豊臣秀吉の正妻ねねの甥にあたり、義父・小早川隆景の隠居に伴い入れ替わりで筑前の名島城に入ります。 「関ヶ原の戦い」では西軍から東軍へ寝返り、勝敗に大きく影響を与えたといわています。 戦後は加増され岡山に移りますが、「裏切り」の汚名を拭いきれず家臣とともに苦悩の日々を送ったと想像されます。 そして二年後には若くして死去します。 この秀秋の「関ヶ原」での行動には過去の出来事と戦いに至るまでの流れより同.....[全文を表示]



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