Mousegallery






名所旧跡・朝倉・うきは
 【若宮八幡宮狛犬-うきは市-



若宮八幡宮の狛犬

うきは市指定文化財(第一号)
若宮八幡宮狛犬(一対)
弘化二年(一八四五年)の記年銘が残る青銅製の狛犬・江戸時代、吉井の豪商で室屋と称した藤江伴右衛門の寄進である。
筑前博多の山鹿平次郎の制作によるもので、胴部に日田の漢学者、広瀬淡窓の撰文がある。
昭和五十六年十一月一日指定

うきは市教育委員会

「若宮八幡宮狛犬」案内板より

山鹿氏は芦屋釜で有名な芦屋山鹿を出とする博多の鋳物師。太宰府天満宮の麒麟像も山鹿氏によって制作されたといわれます。撰文を書いた広瀬淡窓は福岡の亀井南冥に学び、日田に「咸宜園(かんぎえん)」を創設した儒学者になります。





















福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【玄昉(げんぼう)】
(?~746年)


藤原氏の有力者たちが当時に流行した天然痘で次々に死去すると橘諸兄(たちばなもろえ)が権力を担い脱藤原氏の体制を目指します。 唐留学僧・玄昉(げんぼう)はその諸兄に抜擢され僧正に任じられますが大和政権での派閥抗争は収束せず、 8年後には自らが観世音寺へ左遷され翌年には原因不明で死去する事になります。現在、戒壇院の北側に玄昉の墓が残っています。



このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝