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余談
 【塔原の由来

筑紫野市塔原東には、むかし十王堂がありその境内に立っていた塔の礎石が今も残っています。

貝原益軒は「筑前国続風土記」の中で
「むかし此所(ここ)に塔あり、遠くより能(よく)見ゆ。此(この)塔ある故に塔の原といひしとかや」
と書いています。

おそらく遠方から塔が望める法隆寺のような寺がイメージされるのですが、今となっては残された礎石から想いを馳せるしかありません。


塔の礎石は県道31号線「塔原1号交差点」東側の歩道橋の下にあります。 因みに十王堂は閻魔大王をはじめとする冥土で審判を行う十王を祀ったお寺のことになります。



















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スポットライト人物伝


【真木和泉(まきいずみ)】
(1813年~1864年)


久留米藩の尊皇攘夷の志士で攘夷派の公卿に強い影響力を持ちますが、 「八月十八日の政変」で長州藩が京都を追われると長州派の七卿に下関まで同行します(「七卿落ち」)。 そして翌年には長州軍の一部隊として「禁門の変」に参戦しますが、 戦況が不利になると天王山に登り同士16名と共に自刃し志半ばで一生を終えることになります。



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