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余談
 【塔原の由来

筑紫野市塔原東には、むかし十王堂がありその境内に立っていた塔の礎石が今も残っています。

貝原益軒は「筑前国続風土記」の中で
「むかし此所(ここ)に塔あり、遠くより能(よく)見ゆ。此(この)塔ある故に塔の原といひしとかや」
と書いています。

おそらく遠方から塔が望める法隆寺のような寺がイメージされるのですが、今となっては残された礎石から想いを馳せるしかありません。


塔の礎石は県道31号線「塔原1号交差点」東側の歩道橋の下にあります。 因みに十王堂は閻魔大王をはじめとする冥土で審判を行う十王を祀ったお寺のことになります。



















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スポットライト人物伝


【亀井南冥(かめいなんめい)】
(1743年~1814年)


大阪で儒学や医学を学び1785年に福岡藩西学問所・甘棠館(かんとうかん)の館長となります。 この頃に志賀島で発見された金印を漢の光武帝より奴国王へ送られた「漢委奴国王印」と鑑定します。 これが現在、福岡市博物館に所蔵される金印です。 甘棠館は後に廃校となり学生は東学問所の修猷館に統合されますが、 私塾亀井塾として亀井学派は存続し門下生から平野國臣や高場乱、広瀬淡窓などを排出しています。 広瀬淡窓.....[全文を表示]



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