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余談
 【塔原の由来

筑紫野市塔原東には、むかし十王堂がありその境内に立っていた塔の礎石が今も残っています。

貝原益軒は「筑前国続風土記」の中で
「むかし此所(ここ)に塔あり、遠くより能(よく)見ゆ。此(この)塔ある故に塔の原といひしとかや」
と書いています。

おそらく遠方から塔が望める法隆寺のような寺がイメージされるのですが、今となっては残された礎石から想いを馳せるしかありません。


塔の礎石は県道31号線「塔原1号交差点」東側の歩道橋の下にあります。 因みに十王堂は閻魔大王をはじめとする冥土で審判を行う十王を祀ったお寺のことになります。
































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スポットライト人物伝


【安徳天皇(あんとくてんのう)】
(1180年~1185年)


木曽義仲が京都に攻め上ると、安徳天皇は平家一門に守られ筑紫大宰府へ逃げ落ちます。 しかし、大宰府も安住の地ではなく緒方氏に攻められ四国屋島へ逃れます。 その後、「一の谷の戦い」、「屋島の戦い」と源義経の軍に破れ、ついに1185年4月「壇ノ浦の戦い」で平家軍が壊滅すると、 僅かに五歳の安徳天皇は二位の尼(平時子、外祖母で平清盛の妻)と共に入水し亡くなります。 ところで平家一門が都落ちで大宰府に入っ.....[全文を表示]



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