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余談
 【平家最後の拠点・彦島

九州を追われた平家は1183年11月「水島の戦い」で源義仲を破るものの、翌年2月 源義経に「一ノ谷の戦い」で敗れ、その1年後には「屋島の戦い」で再び敗れ四国を追われます。 「屋島の戦い」の数日前には源範頼が九州芦屋に上陸していたため、行き場をなくした平家一門は長門彦島に逃れますが、まもなく「壇ノ浦の戦い」で悲劇的な最期を迎えることになります。

右上の写真は平家最後の拠点となった彦島を小倉の手向山から撮影したもので、右手が壇ノ浦、左手が小倉から響灘へと続きます。 左下の写真は和布刈第二展望台にある屏風形の案内板で「壇ノ浦の戦い」にいたるまでの簡単な経緯とその戦いの事が記されいます。またその案内板の近くには赤間神宮の「安徳天皇縁起図」を元に描かれた巨大な陶板壁画も置かれています。



















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スポットライト人物伝


【高場乱(たかばおさむ)】
(1831年~1891年)


男子として育てられた男装の女医で、かつ教育者。金印の鑑定をした亀井南冥の学派の塾に学び、後に興志塾を起します。 「福岡の変」には塾生から多く者が参加しています。そして1889年に教え子の来島恒喜(くるしまつねき)が大隈重信暗殺未遂事件をおこし自決すると、 来島の死を嘆きながらも「匹夫の勇」と厳しい言葉を投げかけています。



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