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余談
 【平家最後の拠点・彦島

九州を追われた平家は1183年11月「水島の戦い」で源義仲を破るものの、翌年2月 源義経に「一ノ谷の戦い」で敗れ、その1年後には「屋島の戦い」で再び敗れ四国を追われます。 「屋島の戦い」の数日前には源範頼が九州芦屋に上陸していたため、行き場をなくした平家一門は長門彦島に逃れますが、まもなく「壇ノ浦の戦い」で悲劇的な最期を迎えることになります。

右上の写真は平家最後の拠点となった彦島を小倉の手向山から撮影したもので、右手が壇ノ浦、左手が小倉から響灘へと続きます。 左下の写真は和布刈第二展望台にある屏風形の案内板で「壇ノ浦の戦い」にいたるまでの簡単な経緯とその戦いの事が記されいます。またその案内板の近くには赤間神宮の「安徳天皇縁起図」を元に描かれた巨大な陶板壁画も置かれています。
































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スポットライト人物伝


【篠原泰之進(しのはらたいのしん)】
(1828年~1911年)


筑後浮羽の出身で関東で攘夷活動に走ります。その後、伊東甲子太郎に従い京都にて新選組に加入しますが、2年と数ヶ月後には伊東ら同士と共に御陵衛士(ごりょうえじ)を創設し新選組より離脱します。新選組はこの行動を表向きには了承しますが、脱隊を原則違反とする新選組の近藤勇、土方歳三らは伊東甲子太郎を謀殺、遺体を引き取りに来た御陵衛士を待ち伏せし3名を斬殺します。多勢に無勢で篠原ら数名はその場から逃走し薩摩藩.....[全文を表示]



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