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余談
 【平家最後の拠点・彦島

九州を追われた平家は1183年11月「水島の戦い」で源義仲を破るものの、翌年2月 源義経に「一ノ谷の戦い」で敗れ、その1年後には「屋島の戦い」で再び敗れ四国を追われます。 「屋島の戦い」の数日前には源範頼が九州芦屋に上陸していたため、行き場をなくした平家一門は長門彦島に逃れますが、まもなく「壇ノ浦の戦い」で悲劇的な最期を迎えることになります。

右上の写真は平家最後の拠点となった彦島を小倉の手向山から撮影したもので、右手が壇ノ浦、左手が小倉から響灘へと続きます。 左下の写真は和布刈第二展望台にある屏風形の案内板で「壇ノ浦の戦い」にいたるまでの簡単な経緯とその戦いの事が記されいます。またその案内板の近くには赤間神宮の「安徳天皇縁起図」を元に描かれた巨大な陶板壁画も置かれています。
































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スポットライト人物伝


【少弐貞経(しょうにさだつね)】
(1272年~1336年)


「元弘の乱」では菊池武時の決起要請の使者を切り捨て、翌日には北条英時の鎮西軍と共に鎮西探題に討入った菊池武時を敗死させます。 そして、その2ヵ月後には大友貞宗と共に北条英時を攻め滅ぼし最後の北条氏の勢力を殲滅します。 しかし、3年後に大宰府へ攻め込んで来た菊池武敏(菊池武時の九男)に有智山城を攻められ自害することになります。



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