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余談
 【平家最後の拠点・彦島

九州を追われた平家は1183年11月「水島の戦い」で源義仲を破るものの、翌年2月 源義経に「一ノ谷の戦い」で敗れ、その1年後には「屋島の戦い」で再び敗れ四国を追われます。 「屋島の戦い」の数日前には源範頼が九州芦屋に上陸していたため、行き場をなくした平家一門は長門彦島に逃れますが、まもなく「壇ノ浦の戦い」で悲劇的な最期を迎えることになります。

右上の写真は平家最後の拠点となった彦島を小倉の手向山から撮影したもので、右手が壇ノ浦、左手が小倉から響灘へと続きます。 左下の写真は和布刈第二展望台にある屏風形の案内板で「壇ノ浦の戦い」にいたるまでの簡単な経緯とその戦いの事が記されいます。またその案内板の近くには赤間神宮の「安徳天皇縁起図」を元に描かれた巨大な陶板壁画も置かれています。



















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スポットライト人物伝


【菊池武時(きくちたけとき)】
(1292年~1333年)


鎮西探題・北条英時の呼びかけで博多に参陣した肥後の菊池武時はこれを好機と捉え鎮西探題打倒の旗を揚げ北条英時の探題へ討ち入ります。 しかし探題打倒の密約を交わしていた少弐、大友両氏は探題側につき菊池武時は討たれます。 武時は前夜に少弐貞経、大友貞宗に決起要請の使者を送っていたので、当然、鎮西探題側は武時の動きを察知していたことになります。 武時もこの事は承知の上で決死の討入りだったようで、鎮西探題へ.....[全文を表示]



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