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名所旧跡・福岡地区西部
 【麁原元寇古戦場跡-早良区昭代-



元寇麁原戦跡の碑

麁原元寇古戦場跡

鎌倉時代の中頃、1274(文永11)年10月、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)とそれに服属した高麗王国の連合軍は、日本を侵攻するため、朝鮮半島を出航しました(文永の役)。対馬、壱岐、平戸島、鷹島、能古島に襲来した元軍は、博多湾に現れ、今津、百道原に上陸します。これを迎え撃った日本軍は、赤坂、鳥飼の一帯で元軍と交戦し、元軍は麁原(現在の祖原)に陣を構えました。その後、元軍は侵攻を断念して日本から撤退します。この文永の役後、鎌倉幕府は、再度の元の襲来に備えて石築地(元寇防塁)の築造をすすめ、1281(弘安4)年5月、再び日本に襲来した元軍を退けました(弘安の役)。ここ祖原山は、元寇の記憶を今に伝える大切な役割を担っています。

麁原に陣を構える元軍
(「蒙古襲来絵詞(御物本摸本)』九州大学付属図書館蔵)


































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スポットライト人物伝


【大友宗麟(おおともそうりん)】
(1530年~1587年)


豊後の守護大名で、最盛期には豊前、筑前、筑後から肥後の北部までを手中に収めます。 政治的な駆引きや武将としての能力は高かったようですが、 性格的に強引な面があったのか、配下の武将が各地で反乱を起しています。 そして1578年の「耳川の戦い」で北上してきた島津軍に大敗し多くの有力武将を失い防戦一方となります。 その後、豊臣秀吉の援軍を得たため島津軍は撤退したものその翌年には病没しています。



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