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名所旧跡・太宰府・筑紫野
 【針摺石-筑紫野市-



針磨石

針摺石

 この針摺石には次のような伝説があり、地名の由来になっています。
 その昔、太宰権帥として左遷されていた菅公(菅原道真)が、天拝山頂で身の潔白を訴えらりた帰り、この地をお通りになりました。
そして、老人が斧を石に当てて一心に摺っているところを目にされました「何にするのだ」と問うと、老人は「針にするのです」と答えたそうです。その言葉に菅公はつよく心をうたれ何事も不断の努力がなければ成就しないものだと、再び天拝山に引き返し、天に向かって訴えを続けられたと伝えられています。
「筑前国続風土記」(一七〇三年)によるとこの石は、もとは山のふもとにありましたが、近年、この場所に移されたとあります。

筑紫野市


針摺石の案内板より



















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スポットライト人物伝


【黒田長政(くろだながまさ)】
(1568年~1623年)


豊臣秀吉の参謀・黒田官兵衛(如水)の長男として生まれます。十歳の頃に父・官兵衛の謀反が疑われ織田信長に殺されかけますが、 秀吉の部下・竹中半兵衛に匿われ命を取り留めます。それから二十数年後に秀吉が死去し「関ヶ原の戦い」が起こると、 徳川家康の東軍に属します。この戦いは小早川秀秋の寝返りで東軍が勝利を大きく引き寄せたといいますが、 この「寝返り」を事前に根回ししたのが長政だといわれています。戦後、長.....[全文を表示]



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