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名所旧跡・太宰府・筑紫野
 【針摺石-筑紫野市-



針磨石

針摺石

 この針摺石には次のような伝説があり、地名の由来になっています。
 その昔、太宰権帥として左遷されていた菅公(菅原道真)が、天拝山頂で身の潔白を訴えらりた帰り、この地をお通りになりました。
そして、老人が斧を石に当てて一心に摺っているところを目にされました「何にするのだ」と問うと、老人は「針にするのです」と答えたそうです。その言葉に菅公はつよく心をうたれ何事も不断の努力がなければ成就しないものだと、再び天拝山に引き返し、天に向かって訴えを続けられたと伝えられています。
「筑前国続風土記」(一七〇三年)によるとこの石は、もとは山のふもとにありましたが、近年、この場所に移されたとあります。

筑紫野市


針摺石の案内板より
































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スポットライト人物伝


【筑紫広門(ちくしひろかど)】
(1556~1623)


筑紫氏は筑紫(筑紫野市南部)に居を構えた豪族で、鎌倉時代から南北朝時代にかけては少弐氏の被官だったと考えられています。おそらく筑前に侵攻してきた大内氏に圧迫された少弐氏と共に肥前東部に追われ養父(佐賀県鳥栖市北部)辺りに居を移したのかもしれません。後に筑紫氏は大内氏に従い、大内氏の滅亡後は毛利氏に同盟し豊後の大友氏と戦います。

筑紫広門は父・惟門が大友氏に討たれたため筑紫氏を.....[全文を表示]




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