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名所旧跡・太宰府・筑紫野
 【柴田城址-筑紫野市-



柴田城址

鎌倉時代末期~南北朝時代

応安5年(1372年)菊池武光らの砦か?
菊池武光 元応元年(1319年)?~応安6年(1373年12月29日)高良山攻防戦の最中死去 戦国時代(1467年~1584年)末期の1578は、筑紫広門氏の端城で、その家臣、村山近江守の子 弾正の城であった。

ボランティアグループ 天山ふれあい会


柴田城址の案内板より



















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スポットライト人物伝


【筑紫広門(ちくしひろかど)】
(1556年~1623年)


筑紫氏は筑紫(筑紫野市南部)に居を構えた豪族で、鎌倉時代から南北朝時代にかけては少弐氏の被官だったと考えられています。おそらく筑前に侵攻してきた大内氏に圧迫された少弐氏と共に肥前東部に追われ養父(佐賀県鳥栖市北部)辺りに居を移したのかもしれません。後に筑紫氏は大内氏に従い、大内氏の滅亡後は毛利氏に同盟し豊後の大友氏と戦います。

筑紫広門は父・惟門が大友氏に討たれたため筑紫氏を.....[全文を表示]




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