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意外な人物伝
 【勝海舟の黒田長溥・評(1930年頃)-蘭学の先駆だった福岡藩-

勝海舟は福岡藩第11代藩主・黒田長溥について氷川清話(講談社学術文庫)で次の通り語っています。

「幕府時代の大諸侯にして、最も早く外国の事に注意したるは黒田長溥公であつた。」

黒田長溥の蘭癖は流行に乗った他藩のまね事ではなく有力諸侯より先んじていたことが伺われます。

「同公は本草学を好み、シーボルトなどの古き説を信じて居た。」

本草学は黒田藩の真骨頂で藩士・貝原益軒の「大和本草」はシーボルトより絶賛されたといわれます。また長溥は義父の第10代藩主・黒田斉清のシーボルト訪問に同伴したといわれています。
「古き説を信じて居いた」という表現はシーボルトの時代の蘭学は幕末維新の頃には既に陳腐化していたと言う事なのでしょうか?

そして「蛮社の獄」の前後の事だと想像されるのですが、長溥は西洋かぶれを心配した保守派の家臣に諌められます。しかし、それらの意見を聞き入れることはなく逆に阿部龍、永井青崖などの家臣に蘭学を修めさせ西洋の地理や情勢を調べさせます。

「それは天保の前頃なりしが、その頃既に西洋の事に着眼せられたるは達識なるものである。」
と海舟は締めています。



談話に登場する永井青崖は福岡藩士で江戸藩邸に滞在中、海舟に蘭学を教授しています。また阿部龍は黒田斉清のシーボルト訪問に同席しその問答を「下問雑戴(かもんざっさい)」という書物に残した安部龍平の事だと思われます。「下問雑戴」には山家宿に現れた奇獣「だつ」の事をシーボルトに問う興味深い場面も記載されています。


















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スポットライト人物伝


【小早川秀秋(こばやかわひであき)】
(1582年~1602年)


豊臣秀吉の正妻ねねの甥にあたり、義父・小早川隆景の隠居に伴い入れ替わりで筑前の名島城に入ります。 「関ヶ原の戦い」では西軍から東軍へ寝返り、勝敗に大きく影響を与えたといわています。 戦後は加増され岡山に移りますが、「裏切り」の汚名を拭いきれず家臣とともに苦悩の日々を送ったと想像されます。 そして二年後には若くして死去します。 この秀秋の「関ヶ原」での行動には過去の出来事と戦いに至るまでの流れより同.....[全文を表示]



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