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 【博多が初の「透頂香」とは!?(1369年)-「ういろう」とはブランド名?-

妙楽寺「ういろう伝来の地」碑

「陳員外郎という者が1369年、元代末の乱をさけ博多に移住し、その後上京して将軍義満に種々の薬を献上した。義満はとりわけ透頂香(とうちんこう)を気に入り陳員外郎に京都西洞院に邸宅を賜ったが、その子孫が代々久しく博多と京都に住んで透頂香の製造法を伝える事となった。しかしいつの頃からか博多の家は絶えてしまった。また小田原の透頂香は、北條氏政の時、陳員外郎が家僕を小田原へ遣わし、透頂香を売らしたのが始まりである。透頂香は自家製の薬のため外郎(ういろう)と名付けられ、製造方法はこの二家より外に伝わる事はなかった。」

以上が貝原益軒の「筑前国続風土記」巻の四 博多の末項に記載される透頂香の内容です。 透頂香は外郎(ういろう)と記載されるもののお菓子の「ういろう」ではなく、元々は消臭剤で仁丹の様な形状をした薬だったようです。小田原では現在でも万能薬として透頂香が「ういろう」という名で売られているそうです。たぶん「ういろう」とは製品名ではなくブランド名だったのかもしれません。

そして益軒は記事の最後を「透頂香を日本にて製せしは、博多を初とす。」と締めています。

































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スポットライト人物伝


【河野通有(こうのみちあり)】
(1250年~1311年)


伊予の御家人で「弘安の役」に博多湾岸警護に参陣します。 河野の軍は防塁を背に陣を張り元軍に怯るまない姿勢を見せました。 この陣は「河野の後築地(うしろついじ)」と評判になり日本軍の意気高揚につながったといわれます。 また操船術に長けた河野軍は小船で元軍の船に夜襲をかけます。通有は元軍の放った石弓により負傷しますが、 敵将を生け捕りにする武功を挙げたと言われています。



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