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名所旧跡・久留米
 【将軍梅-久留米市宮ノ陣-



将軍梅

 正平十四年(一三五九年)の夏、征西将軍宮懐良親王を奉じた菊池武光らがこの地に陣を敷いた。親王は、念持仏である阿弥陀像をここに安置し、手向けに一株の紅梅をお手植になり、百万遍の仏名を唱えられたとされている。
 対する少弐頼尚は味坂(小郡市)に滞陣した。八月六、七日、両軍は入り乱れての血戦を交えた。これが有名な大保原の合戦である。
 戦いに加わり戦死した兵士は数干に及ぶといわれる。菊池武光の弟武邦は追慕のあまり出家して、この梅樹のほとりに庵を結び、親王の念持仏に戦死者の冥福を祈ったという。これが側の遍万寺である。
 星霜を重ねて、親王が手向けられた紅梅は老樹となり里人の語り草となって、この老梅樹を人々は「将軍梅」と呼ぶようになったのである。

久留米市

宮ノ陣神社にある将軍梅の案内板より






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スポットライト人物伝


【小野好古(おのよしふる)】
(884年~968年)


伊予の本拠地を奪われた藤原純友が大宰府を襲うと朝廷から平定を命じられた小野好古は九州に入り博多湾で純友軍と戦い撃破します。 櫛田神社に祀られる三神の内、素盞嗚大神(スサノウノミコト)はこの「藤原純友の乱」の平定後、小野好古が祀ったものだと 博多祇園山笠公式サイトに記載されています。また太宰府の春の一大行事「曲水の宴」は大宰大弐だった好古が執り行ったのが始まりといわれています。 ちなみに救済施設「続.....[全文を表示]



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