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名所旧跡・久留米
 【将軍梅-久留米市宮ノ陣-



将軍梅

 正平十四年(一三五九年)の夏、征西将軍宮懐良親王を奉じた菊池武光らがこの地に陣を敷いた。親王は、念持仏である阿弥陀像をここに安置し、手向けに一株の紅梅をお手植になり、百万遍の仏名を唱えられたとされている。
 対する少弐頼尚は味坂(小郡市)に滞陣した。八月六、七日、両軍は入り乱れての血戦を交えた。これが有名な大保原の合戦である。
 戦いに加わり戦死した兵士は数干に及ぶといわれる。菊池武光の弟武邦は追慕のあまり出家して、この梅樹のほとりに庵を結び、親王の念持仏に戦死者の冥福を祈ったという。これが側の遍万寺である。
 星霜を重ねて、親王が手向けられた紅梅は老樹となり里人の語り草となって、この老梅樹を人々は「将軍梅」と呼ぶようになったのである。

久留米市

宮ノ陣神社にある将軍梅の案内板より






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スポットライト人物伝


【黒田如水(くろだじょすい)】
(1546年~1604年)


荒木村重が信長へ謀反を起こし有岡城(伊丹)に籠もると、黒田官兵衛(如水)は村重の行動を思いとどめさせるため有岡城に入りますが、 そこで1年もの間 拘束されてしまいます。救い出された官兵衛はこの間の土牢生活で、足を患い頭部には瘡の痕が残ったと言われています。 その後復帰し、秀吉へ様々な戦略戦術を献策し天下獲りに大きく貢献します。しかし九州を手中にし、 ほぼ天下平定が現実すると秀吉は中津12万石を官兵.....[全文を表示]



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