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余談
 【親不孝通りの史跡

先日久振りに所用で天神に出たので、ついでに親不孝通りに足を伸ばしました。 「親不孝通り」は随分以前に「親富考通り」に名称変更されたのですが、噂どおり「親不孝通り」の呼称に戻された様です。 ところでこの親不孝通りは中洲に匹敵する福岡市を代表する繁華街として有名なのですが、その近隣では隠れた史跡を散策することができます。

左の写真は、南側から通りに入り一番最初の角を左には入ったところにある石碑です。西郷隆盛が筑前を訪れた際に宿泊した家屋があった場所らしく碑には「西郷南州翁隠家乃碑」と刻まれています。 西郷隆盛は筑前にも数度訪れているようなのですがその足取りが詳しくわかっておらず、この碑も「隠家」となっており、西郷は筑前では極秘裏の動きをしていたのでは・・・そんな疑問が湧いてきます。

下段右写真は少林寺の門前で、通りの東手にあります。1604年黒田長政により建立され、黒田家ゆかりの人々の墓が置かれています。幕末の筑前勤皇党の弾圧事件「乙丑の獄」に斃れた月形洗蔵もこの寺に眠っています。 月形洗蔵は参勤交代の不要を説いたため、藩主・黒田長溥の怒りを買い4年間の蟄居生活を送りますが、五卿の筑前遷座の際に許され五卿を太宰府に迎えます。その後、薩長の有力者と面談し薩長同盟の締結に奔走します。 一般的には薩長同盟は土佐の志士によって実現したイメージが強いのですが、この少林寺を訪れた際には筑前勤皇党の地道な努力があったことも記憶に留めていただければ幸いです。

また、この他に少林寺から東に入ったところには「飴買い幽霊」の伝説で有名な安国寺があります。 観光で親不孝通りを訪れた方は、食事をされる前にこの辺りを散策されてみてはいかがでしょうか・・・




















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スポットライト人物伝


【奴国王(なこくおう)】
(西暦57年頃~)


倭国の最南端にあった国の王で、西暦57年に「大夫(だゆう)」という役職の使者を後漢に派遣します。 これに対し当時の皇帝であった光武帝は金印を送りますが、これが江戸時代に志賀島の田地より掘り出され、 現在は福岡市博物館に所蔵されている「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」印になります。



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