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余談
 【五郎山と天山と宝満山

五郎山と天山と宝満山

福岡県筑紫野市にある歴史にまつわる三つ山を撮影しました。(北に向かって撮影しています)
 手前が五郎山古墳がある原田・五郎山。五郎山古墳は終戦から2年後に発見された6世紀後半の古墳とされ内部では壁画が発見されています。現在は国指定の古墳となり、山は公園として整備されています。
 手前から2番目のやや右手の山が昔は天山(あまやま)と呼ばれた宮地岳になります。徐福伝説に因む「童男丱女岩」と呼ばれる岩石群が見られ、戦国時代にはこの山の麓に筑紫広門配下の柴田城がありました。広門と同盟関係にある秋月種実はこの城を足掛かりに、高橋紹運の岩屋城城下に攻撃を仕掛けています。
 そして一番奥の左手の山が宝満山で、高橋紹運配下の難攻不落の宝満城があった山になります。島津氏の筑前攻略の際には紹運と手を結んだ筑紫広門配下の兵と紹運の次男・高橋統増が守りますが、広門が島津勢に降伏し、紹運は岩屋城(太宰府市・大野山にあった城)で壮絶な戦いの末に自刃したため、筑紫の兵の勧めで開城降伏しています。




















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スポットライト人物伝


【吉備真備(きびまきび)】
(695年~775年)


奈良時代に安倍仲麻呂や玄昉と共に唐に派遣された留学生です。時の権力者の橘諸兄(たちばなもろえ)の元で改革を進めたものと思われますが、しかし何があったのか突然、筑前守として左遷されます。大宰府では副遣唐使や大宰少弐、大弐を歴任し、また筑紫の軍備や防衛を任される任務についていたようです。学識も高かったようで、大宰府まで派遣された官人に諸葛亮や孫子の戦術を講義しています。
都への復帰の時期は不.....[全文を表示]




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