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余談
 【五郎山と天山と宝満山

五郎山と天山と宝満山

福岡県筑紫野市にある歴史にまつわる三つ山を撮影しました。(北に向かって撮影しています)
 手前が五郎山古墳がある原田・五郎山。五郎山古墳は終戦から2年後に発見された6世紀後半の古墳とされ内部では壁画が発見されています。現在は国指定の古墳となり、山は公園として整備されています。
 手前から2番目のやや右手の山が昔は天山(あまやま)と呼ばれた宮地岳になります。徐福伝説に因む「童男丱女岩」と呼ばれる岩石群が見られ、戦国時代にはこの山の麓に筑紫広門配下の柴田城がありました。広門と同盟関係にある秋月種実はこの城を足掛かりに、高橋紹運の岩屋城城下に攻撃を仕掛けています。
 そして一番奥の左手の山が宝満山で、高橋紹運配下の難攻不落の宝満城があった山になります。島津氏の筑前攻略の際には紹運と手を結んだ筑紫広門配下の兵と紹運の次男・高橋統増が守りますが、広門が島津勢に降伏し、紹運は岩屋城(太宰府市・大野山にあった城)で壮絶な戦いの末に自刃したため、筑紫の兵の勧めで開城降伏しています。




















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スポットライト人物伝


【栗山利安(くりやまとしやす)】
(1551年~1631年)


黒田官兵衛が若い時より付き従った人物で黒田家家臣団の中心武将です。 有岡城に官兵衛が幽閉されると出入りの商人に紛れ潜入し囚われの主君に面会を果たし、 有岡城落城の際は一番に土牢に駆けつけ官兵衛を救い出します。 また関ヶ原の戦いが起こると人質にされそうになった官兵衛、長政の両夫人を母里太兵衛と共に大坂の黒田邸より救い出し中津城まで送り届けています。



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