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 【「帆柱石」伝説とは?(古墳時代)-大木が石化した珪化木-


帆柱石の碑と案内板
東区名島の海岸には「帆柱石」と呼ばれる。円柱形の化石があり国の天然記念物に指定されています。この石のネーミングは「神功皇后が三韓出兵の際に使用した軍船の帆柱が化石になった」という伝説から採られています。
実際のところは三千数百万年前の樹木が化石化したもので珪化木と呼ばれています。小倉城天守閣入口附近にも同様の珪化木が展示されており、こちらは響灘の海中より引き上げられたものになります。

小倉城の珪化木
これらの珪化木は「石炭になれなかった樹木」といわれ、炭化することなくそのまま石化してしまった樹木のようです。化学、鉱物学には疎く詳しい事はわかりませんが、状況から推測して筑豊地方に残る石炭と海辺や海底に眠る珪化木は元々、同じ原生林に繁殖した同類の樹木なのかもしれません。




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スポットライト人物伝


【大友宗麟(おおともそうりん)】
(1530年~1587年)


豊後の守護大名で、最盛期には豊前、筑前、筑後から肥後の北部までを手中に収めます。 政治的な駆引きや武将としての能力は高かったようですが、 性格的に強引な面があったのか、配下の武将が各地で反乱を起しています。 そして1578年の「耳川の戦い」で北上してきた島津軍に大敗し多くの有力武将を失い防戦一方となります。 その後、豊臣秀吉の援軍を得たため島津軍は撤退したものその翌年には病没しています。



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