福岡人物伝 【高山彦九郎(たかやまひこくろう)】江戸中期から後期にかけての草莽の勤皇家で「寛政の三奇人」のひとり。40代半ばで九州を遊歴し王政復古を説き、幕府を批判しますが幕府の圧力があったのか久留米に滞在中に自刃し最期を迎えます。しかしその思想は70年後の尊王攘夷運動に大きな影響を与えます。長州で維新の原動力となった志士たちを育てた吉田松陰の号は彦九郎の諡(おくりな)「松陰以白居士」より取られたものと言われています。
江戸中期から後期にかけての草莽の勤皇家で「寛政の三奇人」のひとり。40代半ばで九州を遊歴し王政復古を説き、幕府を批判しますが幕府の圧力があったのか久留米に滞在中に自刃し最期を迎えます。しかしその思想は70年後の尊王攘夷運動に大きな影響を与えます。長州で維新の原動力となった志士たちを育てた吉田松陰の号は彦九郎の諡(おくりな)「松陰以白居士」より取られたものと言われています。
【斉明天皇(さいめいてんのう)】(594年~661年)中大兄皇子の母親で重祚(二度以上、天皇の地位に在位すること)した初めての天皇です。 二代前の皇極天皇の時に皇子の蘇我入鹿暗殺を目の当りにし退位を決意しますが、 再び斉明天皇として皇位に就き、百済復興のため入った筑紫で崩御します。 観世音寺はこの斉明天皇を弔うために中大兄皇子が建立した寺といわれています。
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