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名所旧跡・中央区城南区
 【貝原益軒 屋敷跡-中央区荒戸-



貝原益軒屋敷跡の碑

【貝原益軒 屋敷跡】

貝原益軒は、藩医貝原寛斎の五男として城内で生まれ、幼い時から神童といわれ、19歳で福岡藩2代藩主黒田忠之の納戸役として出仕しました。その後、27歳の頃に3代藩主黒田光之に、その才能を見い出され、当地の屋敷と知行(報酬)200石を賜りました。その後、益軒は学者としての業績を残し、「筑前国続風土記」、「養生訓」、「大和本草書」等、60部207冊を著わし東洋のアリストテレスとも言われています。 益軒と東軒夫人の夫婦の墓は、銅像とともに金龍寺(今川二丁目)にあります。

中央区役所 企画課





















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スポットライト人物伝


【黒田長溥(くろだながひろ)】
(1811年~1887年)


島津藩主の重豪(しげひで)の十三男で、黒田家に養子として入ります。 開明的な藩主で蘭学を取り入れ中洲には反射炉を建設するなどしています。 しかし1865年の「乙丑の獄」で筑前勤王党の弾圧を行い勤皇派を一掃します。 弾圧の原因はハッキリしていないのですが、 勤王党の過激な一派が長溥の重臣を暗殺した二つの事件が一因であるのは間違いないようです。 結果的にこの弾圧が明治以降、福岡藩に大きな影を落としてい.....[全文を表示]



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