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名所旧跡・中央区城南区
 【貝原益軒 屋敷跡-中央区荒戸-



貝原益軒屋敷跡の碑

【貝原益軒 屋敷跡】

貝原益軒は、藩医貝原寛斎の五男として城内で生まれ、幼い時から神童といわれ、19歳で福岡藩2代藩主黒田忠之の納戸役として出仕しました。その後、27歳の頃に3代藩主黒田光之に、その才能を見い出され、当地の屋敷と知行(報酬)200石を賜りました。その後、益軒は学者としての業績を残し、「筑前国続風土記」、「養生訓」、「大和本草書」等、60部207冊を著わし東洋のアリストテレスとも言われています。 益軒と東軒夫人の夫婦の墓は、銅像とともに金龍寺(今川二丁目)にあります。

中央区役所 企画課





















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スポットライト人物伝


【栗山大善(くりやまだいぜん)】
(1591年~1652年)


黒田官兵衛の信頼の厚かった栗山利安の息子。 栗山大善は第二代藩主の座に黒田長政の長男の忠之を就けますが、 その後、何かと行動に問題のある藩主・忠之との間に軋轢を生じ収拾不可能となると幕府に訴え出ます。 幕府は徳川家と黒田家との関係を重視し大善を南部藩預けとし、忠之の寵臣を高野山への追放し事を収めました。 これが「黒田騒動」ですが栗山大善は南部藩で余生を過ごし20年後に没することになります。 この時.....[全文を表示]



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