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余談
 【宝石で雀を撃つが如し

益軒は「養生訓」で次の通り語っています。
「宝石を礫(つぶて・石ころ)として雀を撃たば、愚なりとて、人必ず笑はん。・・・中略・・・かろき小なる欲を貪りて身を損なうは、軽重を知らずというべし。」
これは欲に任せて酒色を貪る行為は体に良くない事を指摘しているのですが、これは物欲にも言える事かもしれません。

落語で近くの鰻屋の蒲焼を焼く煙をオカズに飯を喰う男の噺がありますが、これは吝嗇の中でも可愛げがある方です。
「定吉、隣からカナ槌を借りてきておくれ」
「へい!行って参ります。」
定吉は隣に行き、しばらくして戻って参ります。
「カナ槌はどうした?」
「いえ、隣の旦那は『打つのは木か鉄か?』と聞かれます。」
「それで・・・」
「『鉄を打つのなら磨り減るから貸せねえ!』と・・・」
「なんだ、隣の親父はケチな野郎だ!しょうがねえ、家(うち)のを出して来い!」

人に迷惑を掛ける吝嗇というのはどうも頂けません。この噺が笑えるのは定吉の主人自身が自分のそれに気付いていないところかもしれません。私自身も気風のよい方ではないので、よくよく気を付けなければ・・・。僅かばかりの金銭や体面のために自身の人間性を磨り減らす行為も「軽重を知らず」と言ったところなのかもしれません。




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スポットライト人物伝


【早川勇(はやかわいさむ)】
(1832年~1899年)


月形洗蔵と共に五卿の太宰府入りを実現し、薩摩と長州の仲を取持つため奔走します。 そして同じ大庄屋の出の中岡慎太郎とは強いつながりを持ち、西郷隆盛との会談を取持っています。 このような勇らの地道な努力が後の薩長同盟へつながってゆくのです。 勤皇党弾圧の「乙丑の獄」では幽閉されますが、中心的な人物の中で唯一死罪を免れのち明治政府へ出仕しています。



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