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名所旧跡・福岡地区東部
 【維新之志士 早川勇顕彰碑-宗像市吉留-



早川勇銅像

【明治維新の志士 早川 勇】

早川勇は幕末から明治へ 高杉晋作、西郷隆盛、中岡慎太郎、平野国臣、野村望東尼、等と結び歴史を動かした志士の一人。 天保三年七月二十三日(1832年)遠賀郡虫生津に生まれ、安政二年九月(1855年)二十三歳の時 宗像郡吉留の医師早川元端の養子となる。 医業を修めながら多くの志士と交流し、坂本龍馬による薩長連合より早く、薩摩・長州・筑前の三藩連合を企て馬関(現在の下関)にて高杉・西郷の会談を実現し基礎を作った。 又、征長軍解体、三条実美ら五卿の大宰府への西遷を実現するために東奔西走し、維新時代の先頭に立って活躍しました。 晩年は明治新政府、三条実美らの招請で東京に居を移し、上京してくる郷土の青年の育成に努めたという。 横には早川勇翁の歌碑があり、又 台座の字は元内閣総理大臣 佐藤栄作書によるものである。

「早川勇顕彰碑」の案内板より





















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スポットライト人物伝


【一色範氏(いっしきのりうじ)】
(?~1369年)


「多々良浜の戦」に勝利した尊氏に九州探題を命じられた一色範氏はそのまま筑前に残りますが、 これに「筑前に二人の主は要らず」と反発したのが少弐頼尚で両者は争うことになります。 この武家派同士の戦いに乗じ、南朝方の菊池氏も再び肥後から筑後筑前へ進出してきます。 範氏はまず菊池氏と手を結び1351年「月隈・金隈の戦い」で少弐氏と、1353年「針摺原の戦い」で菊池・少弐氏の連合軍と争います。 しかし「針摺.....[全文を表示]



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