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余談
 【酒食を過すは腹中を戦場となすが如し

胃腸を酷使する時期も山場を迎え、正月明けには胃腸薬のお世話になる人も多いのかもしれません。

ところで、貝原益軒の「養生訓」には過酒食について次の通り書かれています。
「酒食を過ぎると、強い薬を用いなければ消化できない。これは敵が領内に乱入して城郭を攻め破らんとするのと同じである。こちらからも強兵を出して防戦し、我が士卒の多くが討ち死にしなければ敵に勝つ事はできない。この様に薬を用いて食を消化するのは、自分の腹中を戦場とすることになる。過酒食は敵となり我が腹中を攻め破るのみならず、用いた強い薬も敵兵と入り乱れて戦い健康を仕損じること甚だしい。だからこそ敵を我が領内に引き入れて戦うよりは、外に防ぎ内に入れなことに越したことはないのである。」
この様に益軒は過酒食を戒めているのですが、この記事は過酒食だけではなく病気全般の予防の勧めとも言えるのかもしれません。病気になって副作用のある強い薬を用いるのは最終的手段で、予防が如何に重要なのかを説く記事と受け止めてよいのではないでしょうか。

もうじき受験を迎える中高生の皆さんも受験直前に強い薬のお世話になる事のないよう、予防に努めてラストスパートをかけていただければと思います。
ガンバレ!! 受験生。

































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スポットライト人物伝


【玄昉(げんぼう)】
(?~746年)


藤原氏の有力者たちが当時に流行した天然痘で次々に死去すると橘諸兄(たちばなもろえ)が権力を担い脱藤原氏の体制を目指します。 唐留学僧・玄昉(げんぼう)はその諸兄に抜擢され僧正に任じられますが大和政権での派閥抗争は収束せず、 8年後には自らが観世音寺へ左遷され翌年には原因不明で死去する事になります。現在、戒壇院の北側に玄昉の墓が残っています。



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