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名所旧跡・京築
 【馬ヶ岳城跡-行橋市大谷-



馬ヶ岳

●馬ヶ岳城の歴史●
 馬ヶ岳城は、行橋市とみやこ町の境に聳える標高216mの馬ヶ岳と、その山麓に築かれた中世の山城です。室町時代から戦国時代まで大内氏や毛利氏や大友氏などさまざまな勢力がこの城をめぐって合戦を繰り返しました。
九州平定の際に豊臣秀吉が宿泊した城であり、黒田官兵衛(孝高・如水)の九州最初の居城としても知られています。

今も残る山城のあと


 馬ヶ岳には、土塁・堀切(ほりきり)・畝状竪堀群(うねじょうたてぼりぐん)などの山城の遺構が今も残っています。 西側の峰を本丸跡、東側の峰をニノ丸跡と呼んでおり、ニノ丸から北に下る尾根には、約700mにわたる土塁や、50本以上の畝状竪堀群が残ります。馬ヶ岳城は土塁などの防御施設が山麓部にもあり、中世から近世への城郭の変遷を考える上でも貴重な史跡です。


行橋教育委員会

馬ヶ岳登山駐車場にある「馬ヶ岳城へのルート」案内板より

写真の台形型の大きな山頂部が本丸の部分。左の小さな山頂部が二の丸のあったところになります。






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スポットライト人物伝


【小野好古(おのよしふる)】
(884年~968年)


伊予の本拠地を奪われた藤原純友が大宰府を襲うと朝廷から平定を命じられた小野好古は九州に入り博多湾で純友軍と戦い撃破します。 櫛田神社に祀られる三神の内、素盞嗚大神(スサノウノミコト)はこの「藤原純友の乱」の平定後、小野好古が祀ったものだと 博多祇園山笠公式サイトに記載されています。また太宰府の春の一大行事「曲水の宴」は大宰大弐だった好古が執り行ったのが始まりといわれています。 ちなみに救済施設「続.....[全文を表示]



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