『福岡史伝』はリニューアルしました。新ページはこちらからどうぞ!!

旧ページは数ヶ月ほどで閉鎖いたします。これからも『福岡史伝』をよろしくお願いいたします。



Mousegallery






名所旧跡・京築
 【馬ヶ岳城跡-行橋市大谷-



馬ヶ岳

●馬ヶ岳城の歴史●
 馬ヶ岳城は、行橋市とみやこ町の境に聳える標高216mの馬ヶ岳と、その山麓に築かれた中世の山城です。室町時代から戦国時代まで大内氏や毛利氏や大友氏などさまざまな勢力がこの城をめぐって合戦を繰り返しました。
九州平定の際に豊臣秀吉が宿泊した城であり、黒田官兵衛(孝高・如水)の九州最初の居城としても知られています。

今も残る山城のあと


 馬ヶ岳には、土塁・堀切(ほりきり)・畝状竪堀群(うねじょうたてぼりぐん)などの山城の遺構が今も残っています。 西側の峰を本丸跡、東側の峰をニノ丸跡と呼んでおり、ニノ丸から北に下る尾根には、約700mにわたる土塁や、50本以上の畝状竪堀群が残ります。馬ヶ岳城は土塁などの防御施設が山麓部にもあり、中世から近世への城郭の変遷を考える上でも貴重な史跡です。


行橋教育委員会

馬ヶ岳登山駐車場にある「馬ヶ岳城へのルート」案内板より

写真の台形型の大きな山頂部が本丸の部分。左の小さな山頂部が二の丸のあったところになります。






関連記事:馬ヶ岳

















福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【加藤司書(かとうししょ)】
(1830年~1865年)


西洋諸国の介入を招く恐れのある国内対立を早期に収束させるため、 西郷隆盛と共に第一回長州征討軍解兵に尽力します。しかし一年後には藩内・佐幕派の台頭で「乙丑の獄」が起こり、 博多の天福寺で切腹することになります。 ちなみに福岡藩と土佐藩の成り立ちは「関ヶ原の戦い」より徳川家の天下平定に協力し、外様ながら譜代以上の待遇を得ていることで類似しています。 また幕末には勤王党が活発な活動をし、弾圧された面.....[全文を表示]



このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝