東学問所跡の碑
【東学問所跡】 福岡藩が天明4年(1784)藩の子弟教育のため 設けた二つの藩校東学問所(修猷館)及び西学問所(甘棠館) のうちのひとつである東学問所(修猷館)の跡である。 ここでは、貝原益軒の流れを汲む竹田定良が館主として迎えられ、 多くの人達を教育した。 寛政10年(1798)西学問所が火災にあって廃校になり、 その子弟をも収容し、唯一の藩校として武芸なども教えた。
【月形洗蔵(つきがたせんぞう)】(1828年~1865年)儒学者の家庭に育ち、王政復古の思想を掲げ参勤交代の不要を藩主黒田長溥に建白しますが、 これが長溥の怒りを買い蟄居させられます。しかし三条実美ら五卿福岡遷座の際には罪を許され、 下関まで五卿を出迎えに行くことを命じられています。
▲