名所旧跡・中央区城南区 【東学問所(修猷館)跡】-赤坂-
東学問所跡の碑
【東学問所跡】 福岡藩が天明4年(1784)藩の子弟教育のため 設けた二つの藩校東学問所(修猷館)及び西学問所(甘棠館) のうちのひとつである東学問所(修猷館)の跡である。 ここでは、貝原益軒の流れを汲む竹田定良が館主として迎えられ、 多くの人達を教育した。 寛政10年(1798)西学問所が火災にあって廃校になり、 その子弟をも収容し、唯一の藩校として武芸なども教えた。
【古屋佐久左衛門(ふるやさくざえもん)】(1833年~1869年)筑後古飯(ふるえ)の庄屋の生まれで医学を志し大阪に出ますが、医学が性に合わない事を悟り、江戸に向かい英語や洋学を学び、洋学書の翻訳などを手がけます。また婿養子で古屋家を継ぎ幕臣となります。戊辰戦争では坂本龍馬を斬ったとされる今井信郎(のぶお)と共に衝鋒隊を率い北関東、越後、会津、箱館と転戦し最期は官軍の艦砲射撃に合い被弾、37歳で幕府に殉じます。 語学堪能で神奈川奉行所で通訳していた頃に.....[全文を表示]
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