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名所旧跡・筑豊地区
 【大分廃寺塔跡-飯塚市大分-



大分廃寺塔礎石

国指定史跡 大分廃寺塔跡
(だいぶはいじとうあと)

      所 在 地
      指定年月日 昭和十六年十二月十三日

 大分廃寺塔跡は、当地域で唯一の古代寺院の塔跡です。  塔跡は、保存状態が大変良く、塔の中心柱を支えた心礎(しんそ)を中心に 十七個の礎石がほぼ創建当時のままの良好な状態で残っています。 心礎は大変丁寧に作られており二条の排水溝が見られます。また、 心礎側面に見られる線刻(せんこく)は伽藍造営の基準線と密接に関連するも のとみられます。  現在までの発掘調査の結果などにより、寺域を区画すると思われ る溝と柵列(さくれつ)を検出し、その寺域は南北約九十四m・束西約百二m、大 分廃寺の建立は八世紀初頭(今から約手三百年前)と推定されま す。また、心礎柱座の直径から計算すると、三十mを超える三重の塔 であったと考えられます。出土する古瓦は、新羅系と呼ばれる華麗 な瓦であり、当時大宰府から豊前への官道の中継地点として、文化 交流が盛んだったことがわかります。現在では塔跡以外は見ること ができませんが、当時は七堂伽藍と言って塔・金堂・講堂などがそろ った立派な寺院であり、その伽藍配位置は金堂を左に、塔を右に配 する、法起寺式(ほっきじしき)と推定されます。

飯塚市教育委員会

大分廃寺塔跡案内板より






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スポットライト人物伝


【菊池武敏(きくちたけとし)】
(?~1341年)


菊池武時の九男。京都より落ちてきた足利尊氏が九州に上陸した情報を掴むと、阿蘇惟直と共に肥後より攻め上ります。 そして少弐氏の有智山城を攻め落とし父・武時の仇、少弐貞経を自害させます。 しかし貞経の嫡子・少弐頼尚や尊氏の軍と多々良浜で戦い敗れると南に撤退します。



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